秋。寝子ヶ浜海岸。｜リアクション

秋。寝子ヶ浜海岸。

　秋も深まり、寝子ヶ浜海岸を歩む人影も減った。
　漫歩はあやかしである。日も高いうちから往来を行くのはいささかはばかられる身の上だ。彼の変化は完璧に近く、まじまじ見つめられようとボロを出さぬ自信はあるが、彼は己をわきまえ、寝子島の何の変哲もない住人たちの居場所を尊重する。彼は気のいいあやかしなのだった。
「この季節は、俺みたいなあやかしでも昼間から散歩ができて、ありがたいな」
　さくさく、歩んでは砂浜に足跡を刻む。歩はコンバットブーツの付喪神だ。そこに残るのは文字どおりに己の足跡であり、何やら感慨深くも感じられた。
　水面が陽の光をはらんで揺れる。白波はハニカム模様に立ち、すぐにもひしゃげてくっつき、新たな模様となって浮かび上がる。
「綺麗だな……」
　人目はばからず、じっくりと波の隆盛を見つめ楽しんだ。
「おっ？」
　そんな白波の合間に、良く研磨したダイヤのような虹色のプリズムを纏わせる影がまぎれている。
「イルカじゃん！　へえ、こんなところで会えるなんてラッキーだな」
　真珠イルカ。近頃噂になっている。人懐っこくビーチへやってきては、見物客に挨拶を返したり、ともに歌ったり踊ったりと愛嬌の大盤振る舞いで、たいそう人気なのだそうだ。
　不思議な虹色のイルカは、まるでこの世のものとは思えない。どちらかといえば歩のような存在に近いものを感じる。あやかしと呼べるかどうか判然としないが、ともかく寝子島にいつだって横たわる非現実の賜物だろう。
　まあ、歩にとってはどちらでもいいことだが。
「イルカくん、一緒に遊ぼうぜ。旅は道連れって言うだろ？　ま、ただの海辺の散歩だけど」
　甲高く鳴いて返事をした。了承の意味だろう。
　まずは軽く駆け出してみる。歩の意図を組み、真珠イルカは速度を合わせて併走してくれる。あちらが全力を出せばおそらく追いつけないだろうから、合わせてくれているのだろう。
「君っていい子だねえ」
　きゅう、と鳴き嬉しそうに水面を跳ねる。歩も合わせてジャンプする。負けじとイルカも天高く跳んだ。
　と、どこから持ってきたのか。漂着物だろうか、波に漂うサッカーボールを鼻先で弾き、歩へパスした。
「いいねえ。キャッチボールするかい」

　足を使うのは得意だ。器用にリフティングし、イルカへパスする。ぽん、とリターン。砂浜へ落ちたボールを爪先で跳ね上げ、シンちゃんの頭の上へ放ると、ノーバウンドで弾いて寄越す。
「おー、上手い上手い♪」
　ぽん、ぽん、ぽんとしばしラリーが続いた。
「おおっと！」
　シンちゃんのボールが大きく海へ逸れる。歩は砂を蹴って駆け、ダイビングキックでクリア。の、つもりが目測が外れ、歩はボールと共に海中へ沈み大きな飛沫を上げた。
　がばがばと息を吐く。人の姿の歩は泳げないのだ。元の器物の姿、コンバットブーツに戻れば少なくとも溺死はすまいが、海底へ沈んだら二度と浮かび上がれないかもしれないという恐怖にかられ、やみくもに手足をばたつかせる。しかしぶくぶくぶくと沈んでゆく。
　もはやこれまで、と思われたところで。
「…………ぶは！！」
　歩の姿は、真珠イルカの背にあった。せき込みながら、その滑らかな真珠肌を撫でると嬉しそうに、イルカは身を震わせた。
「危なかったぜ……イルカくん、君は命の恩人だなぁ」
　応えて高く鳴く。
　球遊びは止して、ボールを小脇に抱えたまま再び駆け出した。イルカは跳ね、歩も飛ぶように砂浜を走り抜ける。
　深めた友情の証に、ボールは持ち帰ることにした。これを見るたび、人懐こくも美しく見る者を魅了する、自慢の友を思い出すだろう。
「また会おうな、イルカくん！」
　去り際の姿までも麗しく、真珠イルカは木天蓼湾をゆく。その光景を歩は、あやかしとして生きるだろう永い年月を経てなお、幾度となく思い出すだろう。