冷たい風が背中を押す｜リアクション

冷たい風が背中を押す

　有沢茉奈は自室のドレッサーと向き合う。セミロングの髪を一本に束ねて緩く結ぶ。鏡で状態を確かめて解いた。ブラッシングして三つ編みにする。
「子供っぽいわ」
　自ら作り上げた髪型を否定して髪留めを漁る。バレッタやヘアピンで髪を整え、苛立たし気に手で崩した。
「なんか、違う」
　半ば自棄になって猫耳のカチューシャを装着。鏡に向かって、にゃーん、と甘えた声を出した。
　色々と試して一時間が過ぎた。結果、セミロングのストレートに決まった。毛先に少しボリュームを持たせるようにムースを付けて膨らませた。
　マニキュアの用意に取り掛かる。爪の表面を磨いて丁寧に塗っていく。乾かしている間に足の爪に目がいった。
　――ペディキュアは必要ないよね。今日は彼氏とウォールアートを楽しむんだから。だけど、あたしの魅力に我慢できなくなって、そういう場面になったら必要になるかも。
「勝負下着も……」
　口にした途端、羞恥で顔が赤らむ。深呼吸で自身を落ち着かせてコートを羽織る。
「なに考えてるのよ」
　口調で怒り、顔で笑う。溢れ出る想像に口元がだらしなく緩んだ。

　茉奈はキャットロードに急ぐ。
　目印となる赤レンガの喫茶店。その前のベンチに閑野カノンが座っていた。カジュアルなスーツを着て、すらりと長い脚を組んでいる。整った目鼻立ちと内面から滲み出る優しさは通り掛る女性達の目を否応なく引き付けた。
「……いい、すごく、いい」
　茉奈はカノンを遠巻きに見て呟いた。
　――初彼がハーフでこんなにイケメンなんて。人生最高のモテ期襲来ね。きっとフィリピン人の母親も超絶美人に違いないわ。
「はあ～、いいわ」
　悠々とした足取りで近づく。
「ごめん、待った？」
「そうでもないよ。今日も可愛いね」
「そう、かな。特に何もしてないんだけど」
　周囲の目は茉奈にも注がれる。異性は好意的だが同性は別で嫉妬心を隠そうとしない。
　――どう、あたしの彼氏は。イケメンでごめんね。
　心地よい優越感に浸る茉奈にカノンは微笑み、さりげなく手を握った。
「ウォールアートの場所まで案内するよ」
「ありがとう」
　二人は揃って歩き出す。茉奈は横目でカノンの腕を見た。
　――腕を組んで歩いてもいいのに。
　気持ちを切り替えて茉奈は言った。
「ＳＮＳでは毎日、遣り取りはしているけど、やっぱり実際に会う方がいいよね」
「寂しい思いをさせてごめん」
「あ、文句じゃないよ。だってマタ大の芸術部の課題で忙しいのはわかっているし。気にしないで」
「ありがとう。茉奈は優しいね。一回、幽霊にされたけど」
　カノンは微笑みを浮かべて言った。
「あ、あれは桜をからかう為のウソだから」
「わかっているよ」
　カノンは笑ってウインクをした。

　キャットロードの端まできた。前方に人だかりが見える。壁に大きな女神が描かれていた。その横には悪鬼が凄まじい形相で槍を振るう。
「もう少し先だよ」
　カノンは自作の絵の前に茉奈を連れていった。
「これが、カノンの絵なのね……」
　茉奈は魅入った。
　――カノンの優しさが反映された絵を想像していたから少しびっくりしたわ。上手いのはわかるんだけど、印象が本人と違う。
　熱心に見詰める茉奈にカノンは、どうかな、と控え目な声を掛けた。
「一言で表現するならクールかな。スマホの待ち受け画面にしたら映えると思うよ」
「制作者としては嬉しい一言だよ」
「本当のことだから」
　二人は見つめ合う。そこに強い風が吹き付ける。巻き上げた砂で茉奈は瞼を閉じた。途端にバランスを崩し、隣にいたカノンに抱き着いた。
　風が収まるまで二人は路上で抱き合う。
「あの、ごめん」
「いいよ、このままで」
　カノンに抱き締められた茉奈は潤んだ瞳で頬を胸に押し付けた。

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