冷たい風が背中を押す｜リアクション

冷たい風が背中を押す

　寝子島高校は昼休みの時間帯に入った。北校舎は昼食を求めた生徒達で一気に華やぐ。中庭のベンチに座っていた八神修は賑やかな声を背中で聞いた。
「まだかな」
　ぽつりと口にして空を眺める。降り注ぐ陽光に目を細めた瞬間、修君、と横手から声を掛けられた。
　修の表情は一変して明るくなり、走ってきた七夜あおいを笑顔で迎え入れた。
「待たせてごめんね」
「五分くらいだよ。それより、そのバッグは？」
　あおいは学校指定の臙脂のバッグを右肩に掛けていた。両サイドが膨らんで相当な量を思わせる。
「なんだと思う？」
「そうだな。今日は少し冷えるから温かい飲み物とか」
「半分、当たり」
　あおいは修の横に座った。バッグを開けて次々と中身を取り出す。
　目にした修は驚きながらも笑みを浮かべた。
「もしかして俺の分もある？」
「私の手作り弁当なんだけど、それでもいい？」
　青い瞳に不安を滲ませる。修は視線を逸らさず、真っ向から受け止めた。
「ただ、嬉しい。本当に。なんか、気の利いた言葉が浮かばなくて。ごめん」
「しっかり伝わったよ。私も、嬉しい」
　二人は赤らんだ顔で視線を合わせる。火照った身体を冷やすような風が吹き付けた。あおいは思い出したように手を速めた。用意した二人分の紙コップに温かい紅茶を注ぎ、二つの容器の蓋を開けた。
　カツサンドと唐揚げを目にした修は改めてあおいを見詰めた。
「俺の好きな物を覚えていてくれたのか」
「食べ易いように少しアレンジしてみた。上手にできたと思うから、食べてみて」
「カツサンドを貰うよ」
　修は一つを摘まみ、中程まで齧る。咀嚼すると高音が口の中で弾けた。嚙み切った断面は薄桃色で肉汁が染み出す。
「高温の油のおかげでサクサクだ。揚げ加減も良くて肉質の柔らかさを十分に引き出している。少し甘めのソースが食欲をそそって、いくつでも食べられそうだ」
「ということは味も？」
「とても美味しいよ」
　修は艶やかな唇で口角を上げた。残りを口に入れて幸せそうな顔で食べる。
　照れ笑いを浮かべたあおいは小さく手で招く。問い掛けるような目で顔を突き出すと唇にハンカチを押し当てられた。
「修君、衣が付いてたよ」
　ゆっくりと拭き取る。そこに三人の女子が通り掛かった。はしゃぐ声を抑えて、熱いねー、と小声で言った。
　あおいは三人組を怪訝な顔で見た。
「暑い？」
「なんでもない」
　三人はしたり顔で足早に通り過ぎた。
「はい、これで綺麗になったよ」
「ありがとう。あの、さっきの気にしなくていいから」
「そうする。だって今日は暑くないし」
　あおいは用意した割り箸で唐揚げを挟んだ。
「あーん」
「え、俺に？」
「修君、あーん」
　あおいは気にした様子はなく唐揚げを差し出す。修は泳ぐ目で一口にした。
「美味しい？」
「とても。甘い脂と黒コショウがマッチしていて本当に美味しいよ」
「よかった！」
　喜んだ拍子にバランスを崩す。横に倒れそうなあおいを修は懸命に手を伸ばして抱き寄せた。
「ありがとう」
「無事ならそれでいい」
「うん……温かいね」
　通り掛る生徒達の目が遠慮なく二人に注がれる。あおいは照れたように笑った。
　修は気付かれないように深呼吸をして、たどたどしい言葉を紡ぐ。
「……もっと、こうして、いたいと思うくらい、温かいよ」
「私も同じ気分。胸の辺りがぽかぽかして、涙が出そう……ヘンだよね」
「じゃあ、俺もヘンだ」
　声を絞り出した修は顔を上げた。溢れる感情が目から零れ落ちないように青い空を眺めた。

このページにイラストを設定する