冷たい風が背中を押す｜リアクション

冷たい風が背中を押す

　水上桜は寝子島スポーツセンターに来ていた。自主トレーニングと位置付けて温水プールで黙々と泳ぐ。プールサイドには休憩に入った滝沢匠がいてクロールのフォームやピッチについて細かい指摘をした。
　三百メートルを折り返したところで桜はプールから上がった。
「参考になったわ。ありがとう。今度は滝沢君の番ね」
「背泳ぎの二百メートルのタイムを計ってくれないかな」
「スマホでもいい？」
「それでいいよ。大体の実力を知りたいだけだから」
　匠は飛び込み台の傍らに立ち、脱力した状態で軽い跳躍を見せた。数回のあと、足からプールに飛び込んだ。
　五十メートル先を睨み、くるりと背中を見せた。台に取り付けられたバーを両手で握り、身を縮める。撓めた力と共に一気に全身を伸ばして水中に潜り込んだ。
　タイミングを合わせた桜は満足げにスマートフォンの画面を眺める。
　十五メートル弱のバサロキックを決めた匠が浮上した。綺麗に伸ばした腕を回転させて速度を上げる。
　――綺麗なフォームね。見惚れるほどに。
　桜は匠の姿を目で追った。そのような自分を嘲笑うような笑みが浮かんだ。
　――茉奈ならこれをデートとは思わないよね。色気がないとかツッコミそう。
　匠は百メートルに達した。ターンの度に速度を上げて好記録が期待できる。
　――でも、考えたら滝沢君ってほとんど全裸みたいなものだよね。同じプールで泳いでいるし、肌の密着はないけど、これって大胆な行動なのかも。
　一度、思考を中断して軽く頭を左右に振った。
　――私は恋愛脳じゃない。茉奈みたいな妄想はやめてよね。
　自身に言い含めてスマートフォンの画面に目を移す。計測のタイムを見ていると少し気分が落ち着いた。

　匠は自己記録に並ぶ好タイムを叩き出した。高揚した状態で泳ぎ続けた。桜は隣のレーンで平泳ぎやバタフライに力を入れる。
　二人は息継ぎの合間に目を合わせた。苦しいながらも笑みを交わし、心地よい疲労感に全身を包まれていった。
　室内がオレンジ色に染まる。桜はプールの中に立って周囲を見た。匠も気付いたようで同じように眺める。
「俺達だけだな」
「だいぶ泳いだからね」
　二人は揃ってプールサイドに上がる。
「良い感じに疲れたな」
　匠の言葉に桜は晴れやかな顔で頷いた。
　その時、真冬のような寒風が不意打ちのように二人を襲う。見ると窓が半分ほど、開いていた。
「さっむっ！」
　突然の出来事に桜はよろけた。匠は庇うように抱き締めた。疲労もあって受け止められず、揃ってプールへ落ちた。
　二人の視界を相手が埋める。あまりに近く、唇が重なった。双方が驚いたような顔で水面に飛び出した。
　どちらも直視ができない。桜は自身の唇に指先を当てて顔を真っ赤にした。
　匠は無言で先に上がった。開いていた窓を乱暴な手付きで閉めた。
「もう、大丈夫だから」
「……あの、ありがとう」
　言葉が続かない。桜は俯いた姿でプールから上がると匠の背中を見詰めた。
　夕陽が二人を赤く染める。
　匠は少し震える語尾で言った。
「また、会ってくれるか」
「私でよければ」
「ありがとな」
　匠は顔を見せないようにして手を差し出す。
「また転ぶと危ないから」
　桜は微かに頷くと匠の手を握った。

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あとがき

担当マスター：黒羽カラス
ファンレターはマスターページから！

　冷たい風に吹かれた一日でした。
　その風は決して厳しいものではなくて、心の中を温めてくれる優しい風でした。
　参加してくださった皆様はどのように感じたでしょうか。
　多くは語りません。答えは皆様の中にあると思います。
　大きな一歩と捉えていただければ幸いです。

　この度のシナリオへのご参加、誠にありがとうございました。
　執筆に携わった私の心もポカポカになりました。
　また別のシナリオでお会いできることを願っています。

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