寝子暦1371年のハッピー・ハッピー・ハロウィン☆デイズ！｜リアクション

寝子暦1371年のハッピー・ハッピー・ハロウィン☆デイズ！

　椎井先輩？
　呼びかけられて莉鳥は顔を上げた。
　ああ、と気の抜けた返事をする。街中で知り合いに会ったからといって、はしゃぐ回路を莉鳥は持たない。
　中倉琉歌。陸上部の一年生だ。カモシカのように長い脚をしており、面長で黒目がちなせいか顔立ちもなんとなく牝鹿っぽい。もちろん『馬面』とけなしているわけではなく、自前という整ったまつげの長さもあいまってバンビと呼びたくなる。あまり接点のない後輩だったが、先日短距離走で勝負をしたことは記憶に新しい。
　しかし琉歌だと判明するまではいささか時間がかかった。
　バンビどころか狼獣人だったからだ。琉歌の扮装が。しかもタンクトップの格闘家スタイルである。寒くないのだろうか。
「これですか？　学園ものファンタジーPBWに出てくる人気教師キャラのコスプレです。ラストは出世して学園長になるんですよ」
　楽しげに琉歌は言うものの、莉鳥にとってみれば日本語かどうかすら疑わしい言葉だらけだった。
「学園なのにファンタジーなの？　それにPBW？」
「そうです、勇者を育成する魔法学園なんでファンタジーです！　PBWというのは、ええと、まあRPGだと思っていただければ」
「ますますわからなくなってきたわ」
　お手上げとばかりに莉鳥は肩をすくめた。けれどポップコーンのようにポンポン語る琉歌の口調はけっして嫌ではない。マッサージを受けているように心地よいとすら思った。
「先輩は見物に来たんですか？」
「予備校の帰りよ」莉鳥は首を振る。
「そうでしたか。受験、追い込みですよね」
「かもしれないね」
　勉強に関しては自身のペースを維持してきた莉鳥である。本当は追い込みをかけたりはしないのだが、ここは話をあわせておく。少なくとも琉歌の口調にも表情にも、悪意はまるで感じられなかったから。
　ピュアなのね。一年生だから？
　そうだろうかと莉鳥は己に問う。二年前、自分は彼女のように屈託のない笑顔を浮かべていただろうか。
　鏡の中の自分に対しても。
　周囲に対しても。
　彼に対しても。
　しばらく差し障りのない会話をつづけた。
「では失礼します」
　深々と一礼して、パレードに戻りかけたときである。琉歌はぽつりと言ったのだ。
「先輩、忘れられるといいですね」
　えっ。
　声にならぬ声を発するも、面食らったせいか莉鳥は狼獣人を呼び止めることができなかった。たちまち彼女は見えなくなった。
　それってどういうことなの？
　競技のこと？
　それとも。
　自身の脚力ならパレードに飛び込んで、琉歌を見つけ出すこともできるだろう。
　けれど莉鳥は思いとどまった。
　怖かったからだ。琉歌の回答を聞くのが。