君の忘れ物｜リアクション

君の忘れ物

「あなたさまがご存じのことも、まだ知らぬ一面もわたくしは知っているでしょう。それは、柚春さまに本当の一面を隠しておられるからではありません」
　人に知られたくない部分もあるだろうし、こう思われたいと演じている部分もあるだろう。特別あのような過去を生きたウォルターだからではなくて、誰だって気付かずにその場に合わせて振る舞っている物ではないか。
　それは、その場しのぎの友達を作り続けた柚春にだって覚えがあることだ。
「柚春さまがご存知で、わたくしの知らぬ面もございましょう。……他の誰かと同じであるから深く知っているなど、判断はできません」
　大多数と同じだとか、古い付き合いの者と同じだとか。それはただの認識の指標にしかならない。
　今と昔で変わってしまうこともある。本人が認めたくない姿も、切望する理想の姿だってある。何を真実とするかなど、誰にだって……当人にだって判別は難しい。
　本当に柚春が思うように、無遠慮に踏み込んだというのならウォルターは距離を取っただろう。知略を巡らし『先生』として問題ない程度に冷たくあしらうことなど、造作も無いはずだ。
　彼は――少なくともメアリの見ている範囲では、そのような態度はとっていない。戸惑いが見受けられることもあるが、それは隠しておきたかった件を知られたからというよりも。
（……いえ、こちらはご本人の口からお伝えすることですね）
　くすりと微笑ましそうに見やるメアリは、この眩しいお嬢さんに何なら伝えて良いかと暫し考える。丁度、自分も夫と出逢い未来を考えた年頃だ、柚春が主を慕う気持ちを子供だからと一蹴するような真似ができようか。
「わたくしには憶測でお気持ちを和らげることは叶いません。ですが……不安に思う必要もないかと思います」
　何でも笑顔でこなしてしまうところはあるが、好き嫌いは明確だ。嫌な物をいつまでも傍に置いておくほど、聖人君子なわけでもない。
「ウォルターさまは、忘れろと仰いましたか？」
「いいえ……」
「では、今のところはそれが答えなのではないでしょうか」
　メアリは意外なほど、あっけらかんと言った。だから大慌てになるのは柚春だけだ。
「で、ですけど！　ウォルターさんのタイミングとか、何の配慮も――」
「それは過程のお話でしょう？　過ぎたことは巻き戻せませんし、結果も変わりません」
　変わってない、のだろうか。
　例えば、文化祭で見た生徒に見せる先生の笑顔。最初はそれと同じ物を向けられていたのだろうか。
　寝子高生とも知られず公園で会ったとき、名前も知らずチョークの先生だなんて街中で呼んだときだって。あの瞳を真っ直ぐと独り占めしていても、彼は生徒を見る目でいただろうか。
　春の居酒屋で線引きをされて、自分でさえ気づいていなかった淡い想いに気付いたとき。
　彼は警戒して何か変わったのだろうか、それとも大人の余裕で何も変わらないのだろうか。
　夏の海で１つのドリンクを分け合ったときは？　運命的なキスをしたときは？
　距離を取ろうと思えば、いつでもできたはずだ。
　あの不思議な世界の本が映した景色を『事実』だと認める必要なんて無かったし、色んな誘いを煙に巻くことだってできたのに、催し物へ彼から誘ってくれることもあって。
（迷惑じゃ……負担に、なってなかったのかな）
　距離が近づいたのかどうかはわからないけど、少なくとも何かを知り物理的にも近づいたことがあるからと言って、遠ざけられたようには感じない。
　ただ不安で、必死だった。
　線引きの向こうから手を振って、声をかけて。彼が内に籠もらないように奮闘することを良しとして。
　大きな隔たりのようにそびえる扉の前で、大人しく待ってあげるのか良かったのだろうかと思ってしまって。
「僕は、自分が好きになったウォルターさんが……何かを隠してるって、彼を信じられなかったのかも」
　今はまだ、大人になれないけれど。
　いくら子供の恋だと揶揄されたって、大切に思いあう大人の愛にスイッチ１つで切り替わるわけじゃない。
　たくさんの人生経験の差だって絶対に埋まらない。少し届いたと思ったら、彼はまた先に進んでいて追いつかないだろう。
　大切なんだって、守りたいんだって願っても、どうすればいいのかなんてわからない。
　わかるはず無いんだ。自分は子供で、彼より恋愛経験も乏しくて、彼と初めてする恋愛なのだから。
　人生二週目でも、彼と長年連れ添ったでもない、ただ一年ほどを過ごした人。
　運命をあると言ってくれた、気になる切っ掛けをいくつもくれた、初めてをたくさんくれた人だ。

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君の忘れ物

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