BABY STRANGE｜リアクション

BABY STRANGE

　どんなに忙しい時期であろうと、かならず終わりは来るものだ。もちろん星山真遠も知る事実ではあるが、現実に忙殺されるほどの業務に追われることになれば、果たして終わりはあるのかと疑ってしまうのはいたしかたない。
　つい先日まで真遠は、業務多忙という名の嵐の海にいた。野球場一杯の砂山を神社のひしゃくで移し替えろと言われているような作業だった。やってもやっても結末は見えないうえ、途中で追加の土砂が投げ込まれたり、積みかけた山が崩れたりもする。
　具体的にいえば債権整理の案件だった。最初こそ簡単に見えたものの内実はジャングルだった。予想外に抵当権が複雑怪奇に入り組んでいるうえ、進むほどに関連人物が増加していった。おまけに『その筋の者』まで絡んでくるにいたって、いわゆる地雷案件そのものとわかったころにはもう、行くも戻るもかなわぬがんじがらめの状態に陥っていたのである。司法書士の手におえないシロモノだった。
　しかし真遠には切り札があった。
　旧友の弁護士、元キャバ嬢という異例の経歴をもつ文梨（ふみなし）みちるだ。アルバイト程度にほんの少しキャバクラにいたというレベルではない。一時彼女は六本木の高級店でナンバーワンの座についていたこともあるのだ。
　経歴を活かして弁護士活動にとどまらず弁護士法人運営、著作、講演会、はたまたメディア出演と八面六臂の活躍をみせるみちるをキープするのは楽ではなかった。だがドライなようでいて案外情に厚いみちるは、「少しだけだからね」と言いながら見事なアシストを披露し、一時は無明地獄のようになっていた案件を決着に導いたのだった。
　かくして案件から解放され、やっと休みが訪れたといっても、まだ体は臨戦態勢というか、こわばっているように真遠は感じていた。脳がまだ終わりがきたことを理解していないのだ。
　したがってこの日、携帯電話にクラブ『プロムナード』店長アーナンド・ハイイドから連絡がきたことを真遠は喜んだ。
　ようやく例の案件関係者以外と話せる――。
　たまにはお店に来てくださいよという営業電話であっても、何かトラブルがあったという話でも、はたまた時候の挨拶であろうと歓迎したい。何でもウェルカムだ。
「親父さん久々！　先月は悪かったね、せっかく社員旅行に誘ってくれたのに行けなくて……」
　株式会社プロムナードの沖縄旅行だ。あの時期真遠は例の案件で、まさに五里霧中のまっただ中にいたのである。思い返すだに口惜しい。
「若先生がいなくて残念でしたよう。でもそのときのお土産、買ってきました。よかったらー」
　皆まで言うなとばかりに前のめりに真遠は応じる。口調もはずむ。
「ちょうど大きな案件が片付いたところなんで、近いうちに店に顔を出させてもらうよ」
　アーナンドによれば、法律がらみで相談したいこともあるという。軽い内容でしかないが、ヘビー級ボクサーと打ちあったあとのような現在の真遠からすれば、ウォーミングアップによさそうだ。みちるを誘う口実にもなるだろう。先日の件について彼女に正式な報酬は支払ってはいるが、友人の礼はまだしていないと思っていたのだ。
「わかった。そういうことなら文梨、いや、文梨先生にも声をかけるよ」
「文梨先生もお呼びくださるですか！　ありがとございますよ」
「なあに、仕事というよりは久闊を叙するってやつさ」
　話しながら真遠は壁のカレンダーを見る。ゲームマスター契約をしているPBW会社がオフィシャルで配布しているものだ。同社のキャラクーたちがわいわいとお月見に興じている光景が描かれている。もっともこれはデジタルデータにすぎず、実物は事務所のプリンタで印刷したのだが。
「スケジュールが決まったら連絡させてもらうよ」
「歓迎しますよ～。おふたりはプロムナードの法律顧問、いや守護聖人ですからねー」
「守護……はは、そんな大層な呼び名は俺には似合わないよ。だがあいつにはぴったりかもしれない」
　古代ローマの将軍みたいな甲冑を着込み、背に翼をはやしたみちるの姿が、真遠の脳内に浮かんで消えた。

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