会議室といったところで実状は、単なる空き教室のひとつにすぎない。いささかたてつけの悪いドアをスライドさせて、
五十嵐 尚輝はあっと声を出しそうになった。
室内にはただ一人、
ウォルター・Bの姿しかなかったからだ。両肘を机に置き、重ねた手の甲にあごを乗せている。西陽を背に受けているだけなのに、ほの白い後光がさしているように尚輝の目には映った。
「ああ、五十嵐先生」
ウォルターはまなざしをゆるめる。
前髪に隠れた視線を、尚輝はそっと足元に流した。
「……ど、どうも」
「早いお着きで」
「そうですか?」
「学年担任会議、半からですよ」
「えっ」
しまったと尚輝は思ったがあとの祭だ。五分前に着いたつもりが、三十五分も前だったとは。「ではまた三十分後に」と回れ右するのも失礼な気がして、「そうでしたか。かんちがいしちゃって……」とかなんとかぼそぼそと言いつつ、ウォルターの視線の先に立つことを恐れるように、尚輝はやや大回りして机に向かった。テントウムシのような形に合わさった机の、ウォルターの斜め前あたりの椅子を引く。
ここで遅ればせながら気がついて、
「せ、先生こそお早いですね……?」
自分が考える精一杯愛想のいい声で尚輝は告げた。
「ええ。僕、会議の時はいつも、早めに来てぼーっとするのが好きなんですよ」
やりかけの仕事をしていたりするときもありますが、とウォルターはさわやかに笑う。
「それは……」
言いかけて尚輝は詰まった。『それは』のあとに『優雅ですね』とつづけるのも『余裕があっていいですね』と継ぐのも、そんな意図はなくとも嫌味に聞こえはしまいかと気になったのだ。ついついぼーっとしてしまうのは尚輝にもよくあることなので、ならば『僕もなんですよ』とお愛想するのが無難かもしれない。しかれど正直なところ尚輝にとって、会議のたぐいは苦痛なばかりで気の進まないイベントであり、いつも開始ギリギリ(五分前でも尚輝には相当な前倒しだ)に顔を出すのが常であり、ウォルターの発言の『早めに来て』の部分に同意していると解釈されてしまうと、これはこれでおかしな事態になる気がした。
なので、
「ああ……ええと……」
尚輝は言葉に窮したのである。
顔が熱い。背中に汗が浮く。絵に描いたようなしどろもどろだ。
きわめて不自然なことだろう。変に思われていないか。いや、変に思われるのはかまわないとしても、『五十嵐先生に嫌われている』とウォルター先生に誤解を与えはしまいか――。まるで蟻地獄だ。考えれば考えるほどネガティブ方向に思考が落ちてゆく。
いっぽうウォルターはといえば、怜悧な彼ゆえ瞬間的に、現在尚輝の陥っている自縄自縛には気がついていた。
五十嵐先生、気を回しすぎだなぁ……。
ウォルター自身は好きな表現ではないが、陰キャ陽キャという言葉をあてはめれば、いわゆる陰キャと自認しているであろう尚輝が、おそらく陽キャとみなされているであろう自分に妙な引け目というか、コンプレックスめいたものを感じているのだろうとは想像がつく。
だからといってそんな、駅で切符を落とした小学生みたいにうろたえる必要なんてないのに。全然。
五十嵐先生は他人に興味がないようで気配りできる優しい人だから、僕は決して嫌いではないよ。
そもそも僕だって、つまらないことにこだわって陰々滅々とすることだってあるわけで、そんなに遠い存在ではないと思ってるんだけどねぇ……。
この気持ちを、尚輝を萎縮させず伝えるにはどうしたらいいだろうか。ストレートに『噛みついたりしませんよ』とか言ったとしても、彼はますます恐れ入る可能性がある。
いや、いっそのことがらりと話題を変えるべきかもしれない。
そうしようと決めて、『夏は沖縄旅行に行かれたそうですね』とウォルターがトピックを向けようとした矢先、
「遅くなりました」
ドアがスライドした。この暑さでもネクタイまできっちりしめた背広の教師が立っている。
桐島 義弘だ。眼鏡の位置を直して、
「おや……?」
義弘は会議室を見回した。時間はジャスト、だが秒数なら二十秒程度遅刻してしまったと思いきや、室内には教師ふたりしか姿がなかったからだ。
「会議、半からになりましたよ」
ウォルターが告げると「そういえば」と両肩を落として義弘も席に着いた。ひとつ席を空けてウォルターの隣だ。
「……」
無言で義弘は腕組みをする。
待てよ。
そうすると、会議まであと三十分か。
――困った。
本当に困ったぞと義弘は思うのである。ポーカーフェイスゆえ動揺は表にしないが、足の裏を熾火であぶられているような気持ちになっている。
概算であと千八百秒近くも待機時間があるではないか。しかも目の前には、仕事以外ではほとんど言葉を交わしたことのない二教師しかいないではないか。
尚輝ほどではないにしても、義弘も世間話というのは苦手だ。沈黙は好むところではあるが、不自然な沈黙はできれば避けたい。同じ三年生の担任でも、ここに相原まゆなり久保田美和なりがいればなんとかなった。あるいは富士山権蔵でもいい。彼らなら頼まなくても一方的に、花咲か爺さんのように雑談を振りまいてくるであろうし、こちらは適当に相槌を打っていればいい。そうこうしている間に千八百秒などたちまち消化されることだろう。
ところがこの場には、いつも下を向いていて何を言っているのか、いや、何を考えているのかすらよくわからない五十嵐尚輝と、天才肌で貴族的なムードをもつ、やはり何を考えているのかよくわからないウォルター・ブラックウッドしかいないのである。
押し黙っていると通夜のようじゃないか。
親指の爪を噛みたい気持ちだ。
せめて何か読む物か、最近またやりはじめた数独の本でも持ってくればよかった。
会議室の戸を開けるまで静まりかえっていたところを見ると、彼らもやはり沈黙の迷宮に迷い込んでいたのかもしれない。
ならばここは私が、なにか場が活気づくような話題を提供してしかるべきか――。
謎の使命感に燃え、最近の天気図とハミルトン・ケーリーの定理との奇妙な親和性について義弘が自説を語ろうとしたそのときである。
「チャオ~♪」
蝶が舞うようにしてひらひらと、丸っこい人物がドアを開けて入ってきたのだった。
「今日は時間があるので私も、学年会議に参加させてもらっちゃうぞ、と」
やたらめったら楽しげに
雨宮 草太郎は着席した。陽を受ける頭頂が煌々とまばゆい。
「楽しみだねぇ。今日の議題、なんだったかねぇ?」
白ヒゲをなでつけつつ草太郎校長は左右を見て、
「あ、そうか。半からになったんだっけ、今日の会議?」
ほっほっほと楽しげに体をゆすった。
「ええ」
「そのようで」
と口々に告げる男性教諭陣を見回すと、「だったら時間つぶしでもするかい?」と校長は四角いものを机に置いたのだった。
トランプだ。プラスチックケース入り、裏面の絵柄はサンマさんである。
「親睦をかねてトランプやろうよー。四角い社会もカードゲームで角(カード)が取れる、なんちゃって♪」
面白くないというか殺人的なダジャレだが、ウォルターだけはなんとか愛想笑いした。
「なにやるー?」
誰一人同意していないのに、もう校長はシャッフルをはじめている。
「セブンブリッジはどうでしょう?」
ウォルターが言うも、「ルールわかんないなあ」と校長草太郎が即答する。
「ナポレオンなら得意ですが」
義弘が告げたが、今度はウォルターが首をかしげる番だった。
「じゃあ大富豪にしよう! みんな知ってる大富豪!」
草太郎が声をはずませた。
「まあ」
「それなら」
内心ほっとしつつウォルター、義弘、ともに同意したが今度は、
「ぼ、僕わかりません……」
おずおずと尚輝が挙手したのだった。
「え? 修学旅行の移動時間とかの定番じゃない?」
まったく悪気なく草太郎は言ったのだが、尚輝は申し訳なさそうに頭をかくだけだった。
「僕……あんまりそういう経験、なくて……」
二十数分後、ドアを開けた
樋口 弥生が見たのは、真剣な表情でババ抜きに興じる四人の男たちだった。
これは一体――?
奇妙な光景を前にして、弥生はただ、立ちつくすほかなかった。
◆ ◆ ◆
クラブ『プロムナード』の夜がふけていく。
シャンデリアの照明は明度を落とし、うるさいくらいだったBGMもいつしか、かすかにしてスローな、脈動のごときピアノ曲へと変化していた。
九鬼姫は頭上のシャンデリアを見上げている。
ぼんやりと、吸いこまれるようにして見上げている。
このテーブルの指名は
まみ子だ。九鬼姫はサポートについているにすぎない。話すのも当然まみ子中心だが、かといってグラスやコースターの交換やテーブル拭きなど、仕事はそれなりに忙しいはずだ。
けれどもその九鬼姫が手を止め、ただ天井を見つめている。
「どしたん?」
客との話がそれなりに盛り上がっていたので、まみ子はとがめたりせずに訊ねた。
「なんか……奇妙なんじゃ」
「奇妙、って?」
「灯(あかり)、ボーッとして、よう見えん」
「何よもう酔ったわけ?」
すると九鬼姫は、まっすぐにまみ子を見て言った。
「まみ子の顔も……ようわからんようになっとる。なんでかのう?」
「ちょっと!」
まみ子は声を上げた。さっとおしぼりを取って差し出す。
「拭いて!」
「テーブルか?」
「ちがう! 九鬼姫、あんた鼻血出てる! 早く押さえて押さえて!」
「おお……」
九鬼姫は布を鼻に当て、赤い染みがひろがっていくのを呆然と眺めていた。
「……なにかのう? これは?」
「あんた今日はもう上がったほうがいいわ。黒服呼びなさい」
早く! とせかすまみ子の顔つきは、いつになく険しい。
……またまたガイドが長くなってしまいました。
すいません。桂木京介です。ここまでお読み下さりありがとうございます。
概要
九月のある場面を切り取った日常シナリオです。
テーマは『STRANGE(奇妙)』の一言です。といっても神魂のしわざとかあやかし話といったレベルの話に限りません。ガイドに描いたような、あんまりない組み合わせが密室で会するといったお話でもかまいませんし、進路について色々妄想するといったお話でもいいでしょう。あまり行かない場所へのデート、OBとして寝子高に顔を出して何とも奇妙な気分……といったお話も面白いと思います。
STRANGEという言葉から思いついたアクションを自由にご提供ください。少々こじつけでももちろんOKですのでご安心下さい。
NPCについて
あらゆるNPCは本作に登場可能です。
特定のマスターさんが担当している非公式NPCの場合、多少の調整が必要ですが、アクションに記していただければ登場できるよう最大限の努力をします。
以下のNPCだけは特定の状況が設定されています。
●五十嵐 尚輝
トランプゲームの定番中の定番、大富豪のルールを知らないという事実が発覚しました。ちょっと寂しく思っています。
誰かに教えてもらおうかなぁ……でも相原先生(相原 まゆ)とかにお願いするのはなんだかおっかないです……と迷っているようです。
●ウォルター・B
これまで親しくしてこなかった五十嵐尚輝に、ちょっと興味が出てきました。尚輝と大富豪をする場面があれば喜んで参加します。
●九鬼姫(くきひめ)
九月に入って一時的に視力が悪化するようになり、ときどき人の顔の区別もつかない状態になります。たいていは短時間ですぐ戻りますが、視力の絶対値も低下しはじめたようです。「眼鏡か、わらわもついにメガネっ娘か?」などと明るくふるまっていますが……。
急に鼻血が出るなど、健康上の問題も出るようになりました。理由は、ここで九鬼姫自身が語っている通りです。彼女はまだ、この事実を一部の人以外には伏せています。
●三佐倉 千絵(ガイド未登場)
父親の三倉 杏平がホビーショップ『クラン=G』の経営権譲渡を検討しています。これを聞いて大いにショックを受けました(参考)。千絵としては店を存続させたいのですが、杏平から持ちかけられた条件に心が揺れています。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、銀河系の旅人たちなど。参考シナリオがある場合はページ数も)を書いておいていただけると助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!