奇遇で儚き楽園｜リアクション

奇遇で儚き楽園

　生い茂った木々を縫い、岩の陰に身を隠しながら二人は逃げた。
　突如、視界が開ける。
　森は唐突に終わり、崖になっていた。その先には海が広がっている。
　肩を弾ませ振り返る。しばらく耳を澄ましていたが、ティラノサウルスの足音は聞こえなかった。
「撒けたようだねぇ」
　ウォルターののんびりした声に安堵して、七瀬は抱いてきた仔サーベルタイガーたちを地におろす。
「遠くまで連れてきちゃってごめんなさいです。でも食べられなくてよかったです」
　仔サーベルタイガーたちはあまり状況が分かっていないのだろう。七瀬たちの周りをまわるようにしてじゃれていたが、遠くから母親のものらしき咆哮が聞こえてくると耳をそば立てて森の方に集中した。咆哮がやむと、子どもたちは七瀬の方を振り返った。見上げる瞳は別れを告げているようだった。
「ナァン」
「さよなら。恐竜に気を付けて帰るんですよ」
　きっとこの子たちとは一期一会だ。「またね」はないだろう。
　一抹の寂しさを胸に手を振ると、子どもたちは一匹、また一匹と森へ帰ってゆく。
　残ったのは、ざざん、ざざん、と崖下で弾ける波音だけだった。

　ウォルターは、草臥れた、と海を眺められる大岩の上に腰を下ろした。
「やれやれ。サーベルタイガーがいて、恐竜がいて、森があって、海があって……って、時代も気候も生態系も滅茶苦茶な動物園だねぇ」
「そうですね」
　七瀬はウォルターの隣に腰を下ろし、しばらく海を眺めていた。
　沈黙は苦しくなかった。
　海から吹く風は心地よく、走って疲れた体を休めさせてくれる。
　ふと思う。
（僕は先生といられるだけでも楽しいけど、先生は楽しんでくれているでしょうか？）
　七瀬はしっぽから感情が読めないものかとウォルターの腰のあたりに目をやった。
　しっぽはゆらゆらと揺れている。緊張したり哀しんだりしているときの動きではない。どこか楽し気で、リラックスしているような動きだ。見ているとうずうずして、七瀬は思わずしっぽに触れる。
「ちょっ、倉前、我慢しようって言ったでしょう」
「ああ、すみません！　つい！！」
　七瀬は飛びのいて平謝りに謝った。
「ほんと、やめてよねぇ。変な感じがするからさぁ」
　しっぽを自分の体のほうに回して両手でよしよしするように撫でるウォルターは、すこし頬が上気していた。その表情はどこか無防備で、年上で先生なこの人がこんな顔をするんだと、そう思ったときにはもう、七瀬は自分の心に蓋をし続けることができなくなっていた。
　金の睫毛に縁どられた海と同じ色の瞳を覗き込むように、七瀬は自然とウォルターに顔を寄せていた。
　ウォルターが撫でていた彼のしっぽに手を伸ばし、今度は優しく両手で触れる。
　ウォルターが何事かと見つめ返してくる。
　密かに胸に抱いてきた思いが溢れて、喉までせり上がってきている。こんなときはもっと感情が昂って訳が分からなくなるものかと思っていたが不思議と心の臓は落ち着いていた。
　自分でも驚くほど冷静な声で、七瀬は静かにウォルターに告げる。