苦手なものは苦手なんだからしょうがない!!　―家庭科の補習―｜リアクション

苦手なものは苦手なんだからしょうがない!!　―家庭科の補習―

　時折、隣の調理室の賑わいが聞こえてくるくらいには被服室は静かで。
　黙々と作業をするのに向いているかと言えば、椎井莉鳥にとっては悶々と考え事にふけることになってしまった。とはいえ。
「……また失敗」
　彼女は手元を疎かに出来るほど器用でも無く、何度か糸を解いてはやり直している。
　二枚重ねた布の内側から、図面の通り奥の布へ針をさし、手前に運んで今度は内側に出るように。きゅっと引っ張り固定していく縁かがり縫いに挑戦しているのだが、縫い目の間隔が悪いのか引っ張りようが悪いのか、絞られた巾着袋のようになっていく。
（アイツのせいで失敗したみたいじゃない）
　別に恨み節を込めていたわけでもないけれど、なぜかふと思い浮かんでしまうのだ。
　莉鳥にとっては終わった恋愛、のはずで。そもそも、そんなご大層な間柄でもなくって。
　ただ何度かキスをした。ただ二回身体を深く繋げた。それが多いのか少ないのかなんてわからないから、気を揉んで当たり前なのかもわからない。
　それだけだったのか、そう言い聞かせたいのかはハッキリしないまま、いつまでも心の中で燻る想い。
（男はフォルダ保存、女は上書き保存っていうけど……）
　恋愛については男のほうが過去の恋愛にしがみつきやすく、女は今に夢中になると聞いたことがある。
　けれど莉鳥は上書きできず、過去の男になったはずの彼がこうして静かな時間を邪魔するのだ。
　　――気を取り直して、もう一度。
　木天蓼大学薬学部への進学を希望するからには、大雑把で手先が不器用な点を改めないと、実験などで不都合がある。これは指先を使う、いい特訓になるんだからと言い聞かせて。
（……いい人は、もう見つけたみたいだけど）
　だから、そうじゃなくて。
　また糸を引っ張りすぎて、布が悲鳴を上げそうになっているのをなんとか整え、息を吐く。
　自分も、いい人を見つけたら上書きできるんだろうか。
　それとも……上書きしたくないと、思っているのだろうか。
　正月のこと、南紀白浜でのこと。それを思えば、自嘲した笑みが浮かぶ。
　――成績優秀でインターハイでは走高跳で優勝した、文武両道の才媛
　そう呼ぶ人だっているのに、なんら普通の女子高生だ。
　自分で消せると思った灯火に、初詣で消えるように願った想いに振り回されているうち、秋となった。
（…………）
　どうして、など考えても詮無きことだ。そうよぎる度、図面を見直して手順を確認する。あの時、と彼が零した言葉のパズルを繋げようとして、忘れると決めたんだと糸を引っ張る。
　一針一針、躍起になって縫い進める姿が、白沢絢子の目にとまる。
「もし良かったら、味見をお願い出来ないかしら？」
　彼女が差し出したのは、熱々の焼きプリン。食べたがる人はいるだろうに、なぜわざわざ？
　そう言いたげに見つめ返す莉鳥の隣に座って、絢子はふふりと笑う。
「プリンってね、冷たいほうが美味しいって人がいるけれど、焼きたても美味しいと思うのよ。カラメルだってね、ない方がいいとか苦めが好きとか、色々ね」
　勧められるままスプーンを握った莉鳥は、そのまま一口食べてみる。少し食べ応えのあるしっかりめの口当たりに、絶妙なカラメルの香りがふわりと鼻にぬける。
「絶対これが普通のプリンだなんて決められたら困っちゃうわ、どれも美味しいんだもの」
　悩みの無さそうな顔。でも確かに、温かいプリンも悪くは無かった。

　女が恋愛を上書き保存出来なくても、忘れることができなくても。
（邪魔しないように忘れてあげる、なんて癪だしね）
　色々、あっていいのかもしれないと思うと、少し肩の力を抜けた気がした。