反転の逆立ち｜リアクション

反転の逆立ち

　三毛谷道哉は日課の散歩を楽しんでいた。愛用の山高帽を被り、涼し気な単衣を粋に着こなす。
　見るもの全てが珍しいと言わんばかりに興味を示した。公園のブランコで遊んでいた少女には心を動かす。古い記憶の飼い主と重なり、覆い隠すように笑みを浮かべた。
　足早に通り過ぎて異変に気付く。軽く頭を振ってみたが改善されなかった。
　――眩暈とは違う。頭に血が上るような感覚は、どういうことなのか。
　人気の少ない場所であった。周囲に答えを求めたが得られるものはなく、ふらつく状態で足を速めた。
　丁字路に差し掛かる。左手から二人組が現れた。シオ・レイゼルオークと響タルトであった。
　道哉はタルトに向かって足を急がせる。
「響の嬢ちゃん」
「あ、三毛谷さん」
「知り合いの方ですか？」
　シオの声にタルトは笑って、猫仲間だよ、と答えて走り出す。
　自身の窮状を他所に道哉は声を掛けた。
「平気なのかい？」
「神魂の影響には慣れてるからね。たぶんだけど長くは続かないよ」
「そうなのか。早く終わって欲しいものだが」
「今回は逆立ちで耐えるしかないかな。あと猫になった方が楽だよ。じゃあ、また」
　タルトは片手を挙げて戻っていった。
　――猫か。私は猫又なので二本の尻尾は目立つような気もしないでもないが。
　再度、頭を振った。好転することはなく、人の姿のまま逆立ちを試した。
「楽にはなるが、腕が」
　強い風に翻弄される落ち葉のように不安定に揺れる。被っていた山高帽が落ちて体勢が崩れた。四つん這いとなって即座に被り直す。
「猫になるしかないか」
　素早く周囲を見回し、猫又の姿に変化した。その状態で逆立ちを試みる。
　――体重が減ったことで腕は楽になった。山高帽は口に咥えていればいいか。
　人気の少ない道もあって道哉は逆立ちでちょこちょこ歩く。狭い道を好んで選んだ。誰とも出会わない状態が継続する。
　民家の前で動きを止めた。中の喧騒が外まで漏れていた。
「どうなっているんだ！？　まともに立ってられないぞ！」
「わたしに怒鳴っても仕方ないでしょ！　こっちだって大変なんだから！」
「ママ、なんか頭いたいよぉ」
「寝てなさい。楽になるから」
「お外であそびたいのにぃ」
　道哉は猫の状態で溜息を吐いた。山高帽を落としそうになり即座に口元を引き締める。
　――広い範囲で神魂が影響しているようだ。
　止めていた手を動かし始める。代わって雑踏が近くなる。内容は聞き取れないが会話の合間に笑い声が挟まった。
　――大丈夫だとは思うが。
　落ちた勢いを取り戻して通りに出た。
　逆立ちをしている人間がいた。極度の貧血に襲われた女性がふらふらと歩く。男の子は歩道で仰向けになっていた。
　道哉を気にする余裕はなさそうで難なく紛れ込んだ。
　途中、逆立ちする女の子に出会う。
「三毛猫さんも逆立ちなんだね」
　道哉は愛想よく笑ってみた。女の子は黒目勝ちの目を尻尾に向ける。
「二本もあるんだね。又猫もみたい！」
　言葉まで逆転していた。道哉は否定の意味で顔を振るが気付かない。
　女の子は元気に歩いていった。
　横断歩道を渡った道哉は匂いを嗅ぐ。急に動きが速くなる。防風林の向こうに広くて青い海が見えてきた。
　斜面を前転して下って逆立ちに戻る。
　――実に不思議な景色だ。下に空があって上は砂浜と。このような絶景が見られるのなら神魂も、そう悪くない。ん、あれは？
　繰り返す波に挟まれた形の三折部朝衣を目にした。崩れる波頭を利用してサーフボードの上に立った。その姿は逆立ちで勝ち気な表情のまま声を張り上げた。
「やってやろうじゃない！」
　両手と両足の絶妙なバランスを駆使して波に乗る。勇姿と言える姿に道哉は目を離せなくなった。
　――この状況を楽しめばいいか。
　ごろんと前に倒れた。手足を伸ばした状態で青い空を眺める。糸目となって砂浴びをするようにごろごろと転がった。

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