◆万条 幸次の場合。～side B～



　祝・愛猫 萌々子と付き合うことになってから数日。幸次にはどうしても彼女に頼みたいことがあった。
　頼みたいことというか、野望というか。

　それは膝枕！

　彼女の太ももに頭を乗せたい！　スカート越しに彼女のぬくもりや香りをほのかに感じつつ、萌々子はきっと照れるだろうから、その照れた顔を眺めてニヤニヤしたい！
　これぞカップルだからこそ堪能できる、究極のスキンシップじゃーないか！？（異論反論受けて立とうではないか、男子諸君！）

　と、燃え上がる炎をバックに思いを盛り上げたまでは良かったが、さすがにこの思いの丈をそのままぶつけたところで萌々子には退かれて断られるに違いないとわかっているから（ちょっと現実的）、そこはそれ。呼び出した先の公園で、
「猫の姿で！」
　と条件を付けてお願いしてみた。
　萌々子は、なんだかちょっと残念そうというか、悲しそうというか、なんかそんな感じで数秒黙っていたように見えたが（たぶん気のせいだ！）、「わかりました」と応じてくれた。


　そんなわけで、公園のベンチで膝に乗せてもらっているのニャ。
　こうしてお願いを聞いてもらったわけだし、何かお礼しなきゃいけニャいんだけど、思ったとおり柔らかくてあったかい膝の上で背中をナデナデされてると、全部どうでもよくなってくるニャ……。

　まさに天国にいる気分で目を閉じて、ゴロゴロ喉を鳴らしながらうっとりうとうとまどろんでいると、こちらへ近づいてくる複数の足音が聞こえてきた。
　完全に、こちらを目的としてまっすぐ走ってくる足音。
　けど、そんなこと、どーでもいい。
　今はひたすらこの幸せ気分を心ゆくまで満喫したい……と思っていると。
　上から日の光を遮る影が落ちて、小学生らしい子どもの声がすぐ近くで起きた。

「それ、おねえちゃんの猫？」
「えっ？　は、はい」
「撫でてもいいっ？」
「えーと……」

　ふふふ。俺を撫でたいのか。そうだろう、猫の俺はかわいいからニャっ。
　よし。撫でてもいいぞ。今の俺は寛大なのだ。もふもふすることを許そう。
　大事なおなかをわしわししてもいいんだニャ～。

　今なら何をされても許せる気がして、喉を鳴らし続けていると。

「わー！　ふわっふわー！」
「かわいー！」
「しっぽながーーい」

　あちこちから伸びた手が、一斉に幸次の背中や頭、腹やしっぽなんかをわしゃわしゃ、もふもふ、なでなでし始めた。
　萌々子と違って本物の猫と思っている子どもは手加減をしないから、さっきまでの気持ちよさはどこかへ吹っ飛び、もみくちゃにされているようだったが、一度許すと思った手前、幸次はひたすら忍耐の二文字を頭に浮かべ、眠ったふりをして、子どもたちにされるがままになっていた。
「優しく……優しく、してくださいね……？」
　猫を彼と知る萌々子の、とまどった声が聞こえる。
　優しい彼女のことだから、もみくちゃにされている姿を見て、さぞ気が気でない思いで落ち着けずにいるのだろう。
　俺は大丈夫だ、愛猫さん。そう心の中で呼びかけていると。
「おねーちゃん、この子、名前なんて言うの？」
　との質問が子どもたちから出た。

「な、名前！？　えっと……、あの、こ……幸次くんって言います……」

　恥ずかしそうに答える萌々子のか細い声に、一瞬でぎゅーんっとハートをわしづかみにされた。
　見なくても、彼女が今どんな顔をしているか、想像がつく。きっと真っ赤になって俯いて、頬を両手で挟んで隠そうとしているに違いない。
　ああ、かわいいなあ……ニャフフフ。
　こんなかわいい子が俺の彼女なんだ、と思うと、自然と口元が緩んでくるというか、顔のにやけが止まらない。
　でもきっと、彼女は今の自分を見られたくないだろう。幸次が聞いていたと知ったら、ますます真っ赤になって、パニックを起こすのでは？
　そんなことを考えて。彼女のために、必死ににやつきそうになる口元をこらえ、自制心を利かせて寝たふりを続けていると、いつの間にか子どもたちがいなくなっていた。

　もう起きてもいいかな？（いや、最初から起きてたけど！）
　なんだか目を開けるタイミングを逃してしまったというか……今目を覚ましたふりをしたほうがいいのか、それとも少し前から起きていたことにすればいいのか、どちらが彼女のためになるんだろう？　とか悶々と考えていると、萌々子の両手が脇の下に入って、そのまま持ち上げられた。

　――よし。今目を覚ましたふりをするのニャ！

　そう思ってぱちっと目を開いた瞬間。
　萌々子の目を閉じた顔がすぐ目と鼻の先に（比喩じゃなくて、本当に目と鼻の先に！）あって、びっくりする間もなく、キスをされていた。

――えっ？　……え？　これってどういう……？

　何がなんだかわからなくて、目をぱちぱち。
　だけどそうする間もずっと、口にふにっとしたやわらかーい感触があって……。
　カチンコチンに固まっていた頭が再び動きだして、だんだんと幸次も今の状況が理解できるようになってきた。

　ウニャッっとびっくりしてのけ反るのと、萌々子が目を開くのとが同時に起きた。
　そのまま手をすり抜けて地面に飛び降りたが、まだキスの衝撃から冷め切れてなくて、手足がしびれてふにゃふにゃ。力が入らず、地面にぶつかってしまった。
　猫にあるまじき失態。ろっこんが解除されたが、今はそんなこと、構ってる余裕がなかった。
　急いで萌々子のほうを振り返る。すると彼女はさっきまでと同様、ベンチに座っていて、地面に四つんばいになったままの幸次を見つめていた。
　手についた土を払い、立ち上がる。

「……今の。ど、どど、どう……っ」

　喉が詰まって、うまく言葉が出てくれない。
　だってまだ唇に彼女の唇の感触が残っていて……平然と話せるわけないよね！？
　とにかく動揺を鎮めようと、呼吸に集中する。

「――愛猫さん。あの……」
「先輩。
　先輩だけいい思いするなんて、ずるいですよ。だから今度は私が行きたいところへつきあってください。
　私のこと、萌々子って呼んでくれたらもう一度を考えてあげてもいいですけどね」

　もう一度とは猫で膝枕のことか、それともキスか。
　ためらっている彼の心を読んだように、萌々子がべーっとかわいく舌を出し。ふふっと笑う。
　そんな彼女の姿にようやく幸次も肩から力が抜けて、いつもの調子が戻ってきた。
　ニヤリと笑い、彼女を横から覗き込む。
「そんなことより今さ……俺たち、キス、してたよね？
　いやー初めてだったけどさ、さすがに猫の姿はノーカンでしょ？　なんならもう１回してもらってもいいかな？」
　そう提案した瞬間、突然立ち上がってさっさと歩き出した萌々子に、幸次はあわてた。
　しまった、調子に乗りすぎたか！
「やっぱり怒ってる？　ごめんって！　俺ばっかり楽しんでて悪かったよ！」
　急いで謝ったが、萌々子は無反応だった。何も聞こえなかったように公園の出口へ向かう彼女の背中は、怒っているようにも見えて……。
「頼むからもう１回、お願いします！　愛猫さんってばー」

　ちょっとどこ行くんだよぉ……待ってー。

　やばいやばいと内心冷や汗をかき、幸次は謝りながらあとを追う。
　ひたすらごめんを繰り返すこと数十分。どうにか機嫌を直してもらえたことにほっとしつつ、おとなしい子が怒ると恐い、という通説を思い出す。
　もう彼女を怒らせないようにしなくちゃ、と思った。