スターライト・セレナーデ｜リアクション

スターライト・セレナーデ

　腕時計を見れば午後六時まで、あと数分の時間もなかった。
　まだ六時前。
　もう六時前。
　六月の空に、暮れる気配はほとんどない。午後の陽射しが継続している。のびきったゴムのようでも昼間は昼間だ。物語としての結末は描かれたのに、主人公の独白がだらだらとつづいている映画のようだ。
　寝子電シーサイドタウン駅、コンコース前、片隅に身を隠すようにして、青山絢は立ちつくしている。
　待ち合わせだ。
　でも正直に言えば絢は、電車が遅れればいいと思っている。
　いくら電光板を見上げようとも、遅延とか事故とか、そういった不穏なメッセージは表示されない。電車は通常運転、駅も普段とおなじ平日夕方の光景にある。しいて言えば月曜日だからか、いささか気怠い雰囲気はあったが。
　絢もいつもとおなじだ。制服姿で、通学カバンを手にしている。
　けれど胸中は、いつもとおなじではない。
　心の中では逡巡していたし、いっそ逃げ帰りたいという気持ちすらあった。
　高校入学のため寝子島に来てからの三年間、絢は一度も東京の実家には帰っていない。ほんの半日ほど顔を見せることすらしなかった。
　だから三年ぶりということになる。
　父に会うのは。
　時計の針がゆっくりと回転をつづける。六時まで、あと一分を切った。
　あの春の日、絢は同居の従姉に約束をした。
　今度のゴールデンウィーク、父さんに会いに行くと。
　もう時間がないと彼女が言ったから、
　むきあわなくちゃと思ったから、
　あるいは、自分が成長したと示したかったから――。
　決心に理由をつけようとすればいくらでも見つけられるが、どれもちがうような気がするし、逆に、すべて当たらずも遠からずという気もする。もどかしい。コーヒーに砂糖を入れるのに、スプーンではなく耳かきを使っているような気分だ。
　従姉との約束を果たすのには時間がかかった。
　当初考えていたゴールデンウィークは、父は仕事で海外行きが決まっていた。それからもスケジュールの歯車はかみあわず、一週のび、二週のびして、あらめて設定しなおしたのが本日となった。
　平日を希望したのは絢だ。朝から一日一緒にすごすなど、想像することすら難しかったから。週あたまの月曜日を選んだのにも理由があった。仮に長引きそうになったとしても、明日は学校だからと言って切り上げやすい。
　それでも、これからの時間を考えるとひどく喉が渇いた。
　駅舎全体が震えたように思う。
　ホームに電車が滑りこんできたのだった。六時ちょうどの電車だ。
　乗客が改札から吐き出される。はじめはわずか、やがてかたまりとなって。どこにいるのだろうと絢は目をこらす。
　しばらくして客の姿は絶えた。
　――いなかった。
　ほっとするべきなのだろうか。
　残念がるべきなのだろうか。
「絢」
　声は背後からした。
　私を呼ぶ声。
　三年間……聞くことさえ拒絶した声。
　もう忘れてるのだと思っていたけれど、まだ覚えていた。
　ふりかえった視線の先に絢は、青山諒一の姿をとらえた。
　この三年、まったく見なかった姿ではない。彼は世界的な名声を持つ写真家であり、それと意識しなくても、偶然メディアで姿を見かける機会は何回もあった。ふと手にした雑誌の、表紙撮影者としてクレジットされていたこともある。一度などは、新聞の囲み記事に彼のインタビューが大きく掲載されていた。
　青山諒一は写真家。
　私の写真の師。
　……そして、私の父。
　電車では？　と視線で問いかけると諒一はおだやかな笑みを浮かべた。
「寝子島に来る機会はあまりないから、朝から来てひとめぐりしていた」
「そう」
「久しぶりだな」
　ええ、と絢はこたえた。
「久しぶりだね……父さん」

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