寝子街闘者　晩夏の陣｜リアクション

寝子街闘者　晩夏の陣

（そういえば……）
　陽は、綺麗な女性とすれ違ったとたん……一人の女性を思い出した。組長の息子の婚約者だ。

　――どうしてあの人まで殺されなければならなかったのですか。

　病院へ連れて言った際、涙ながらにそう言ったのを覚えている。
　彼女は、そういえばどうしているだろうか？　退院後の事は解っていないがまた巻き込まれていないだろうか。
（まぁ、俺には関係ないか……）
　陽はふん、と鼻を鳴らして街を行く。
（今回のヤマに対してはよぉ、死に場所なんて綺麗な言葉じゃ表せねぇ）
　道半ばで挫折せざる負えなくなった友の事を想うと、胸の奥が焼けるように痛む。
「こいつぁ、毒餌の一つでも巻いてみるしかねぇと思って仕込んでみたが……」
　たとえ自分も喰らう羽目になろうとも、死なば諸共。『黒猫』さえ潰せればこの命は安い物である。
　ふと懐が震える。陽はスマホを取り出し、すぐさま通話ボタンを押した。
「ん……あいよ」
　しばし立ち止まった陽は、電話から聞こえてきた内容に、にやりと笑った。
（ばらまいた『毒餌』は、ちゃあんと渡ったようだなぁ）
　ふと、ぽたりと何か落ちてきた気がして手を伸ばすと、雨が降り始める。だが、彼は気にしたそぶりを見せない。
（これぐらい、どうでもいいか）
　傘も持たず肩で風を切る陽は、通話したまま雑踏に紛れた。

「……『山猫組』ツブしたのは、いつだったか……」
「もう、７年ぐらい前の話では」
　『黒豹組』組事務所の一角。戻ってきた道隆はなにげなく部下と話していた。
（その生き残りが、こっちに攻め込む準備をしている……か）
　若頭となったばかりの自分が、部下を率いて『山猫組』との抗争を繰り広げた時の事が、妙に引っかかていた。道隆の記憶が確かなら、最初は互角で、血で血を洗う争いになっていた。だが……。
（組長の息子が死んで形勢が崩れ『黒豹組』が勝利……今の組長が就任した）
　組長の息子を殺したのは、確か今の組長だったか。その際彼は『組長の息子の婚約者を殺せ』と前の組長から命じられたが、逃げられたか、逃げたか、とか話に上がっていた。自分はその後ろ姿しか見ていないが……。
（……その婚約者が……？）
　道隆は、なんとなく考え……首を振って考えるのを一旦やめた。
「浮かない顔をしているわね」
　声に顔を上げると、アオイが自分にコーヒーを淹れていた。恐らく、組長の差し金だろう。道隆の表情に少し影が浮かぶ。
　彼女はただの愛人ではない。組織が必要とする影の仕事の中でも一層陰惨な部分……敵対組織の構成員や買収に応じない政治家やジャーナリストなどの暗殺の他、買収工作の指揮やハニートラップ要員も行う。
　彼女の弱みを掴もうとした者はその多くが『組織の裏切り者』とされ、姿を消す。恐らく消されているのだろう。
（たった１年で、愛人に収まってしまってからが凄まじい女だ）
　美しさと、煙や霧のような印象を受けるアオイに、道隆は少しだけ苦笑する。
「抱えている案件が複数あってね」
「そう。……若頭は大変ね」
　アオイは自分の分のコーヒーを淹れながら、そっと相槌を打つ。道隆は「資料に触れるなよ」と念を押すと、コーヒーをテーブルに置き、奥の方へと歩を進める。そして、アオイに見られぬよう部屋を出ると、懐から携帯電話を出した。