怪物｜リアクション

怪物

　智依子は四歳の娘を育てる母親であり、同時に現役高校生でもある。
　したがって勤務シフトは日曜と放課後が中心だ。日曜日は朝九時から夕方五時のフルタイムで働いて月曜日は休み、それ以外の平日は夕の五時から夜八時まで。土曜日は二周おきで休みになったり、日曜同様の勤務だったりする。
　例外は祝日で、これが連休ともなると祝日前の休日も変則的なシフトになるのだった。基本残業はない契約だが、このときばかりは残業が入ることもある。
　今日がそれにあたる。明日も休みであるため、智依子の終業はずいぶん遅くなった。
　もうこんな時間……！
　時計を見るともう二十二時近い。明日の目玉商品の在庫管理、加えて清掃に時間をとられてしまったらしい。娘の楓はとうに寝ているだろう。急いで帰り支度する。
　そんなに熱心に働くなくてもいいのに、と智依子は祖母に言われたことがある。
　でもそのとき智依子は言った。
「自分で決めたことだから」
　と。
　将来的なことを考えれば、いつまでもバイトで娘を養うわけにはいかない。
　いまは地主の祖父母の下に身を寄せているから経済的には困らない。
　祖父母はまだ健在だ。でも、確実に自分たちより先に逝く。
　智依子の吐く息がブルーに染まる。
　その日がきたら、遺産相続の件で両親や親類と争うことになるのは目に見えているからだ。
　両親はいまだにシングルマザーになった私を許していない──。
　祖父母の遺産に頼れない以上、少なくとも自分で経済的自立をして娘を育てないとならない。
　智依子が『ハローニャック』をバイト先に決めたのは、賃金面のみが理由ではない。偶然、テレビのニュースで見たからだった。
　自分と同じ境遇のシンママが、ハローニャックのバイトから正社員採用されて、最年少店長に抜擢されたって。
　あのとき私は、「これだ！」って思った。
　いつか私も、という希望を胸にいだいていたい。
　智依子はバックヤードから出た。店は二階建てだが、中央付近には屋内メリーゴーランドがあり吹き抜けになっているためか、足音やけにひびく。
　近道は店内をつききっていくことだ。警備員詰め所の扉から出られる。
　とうに閉店時間をまわっているので店内は無人だ。非常灯など最低限のほかは灯りも消えている。
　大型玩具売り場のあたりで、右手の方角からがさっと音がした。人の気配がする。
　制服警備員なら懐中電灯でも持っているだろう。まだ帰ってない同僚かと思い何気なく灰色の目を向けた。
　視線が、合った。
　見知らぬ姿だ。すくなくとも従業員じゃない。
　女の子？
　中学生くらいだと思う。三つ編み、メタルフレームの眼鏡をかけている。着ているのはジャージか。
　悲鳴が洩れそうになった。中学生はひどく顔色が悪く、目も血走っていたからだ。尋常ではない。
「あの……」
　そっと近づいて呼びかける。
　怯えさせたくないと思った。
　なぜってこの子、もう怯えきっているから。
　疲れ切っているようにも見えた。近づくと、ずいぶん汚れているのもわかった。
「何しているの？」
　一瞬、少女の目からどす黒い殺意が吹き出たような気がした。
　でもそれは一瞬のことだった。
「私……逃げてるんです……逃げつづけてます。でも、もう疲れ果てました」
　少女――脇坂香住（わきさか・かすみ）は言った。