とまどいエチュード｜リアクション

とまどいエチュード

　—―これ、どういうこと？
　同じくいきなり夢の舞台に放り込まれた落合まゆらは、あたりをきょろきょろと見回した。
　好奇心あふれる彼女、現在の自分の置かれた状況に興味深々だ。
　寝子島で間断なく襲い掛かってく珍妙な事態も、今の彼女には良い刺激だ。
　そういったことを、みんな自分の仕事に生かして見せる！
　ポジティブな気持ちが、今の彼女を突き動かしていた。

　――王子のおなり！
　触れ役の声、そして高らかな楽器の音とともに、奥手の扉が開き、優雅な美貌の王子と、美しく着飾った女性が現れた。
　一同の祝福の声を手で制する。
　そして、王子は、キッと鋭い目をする。
「本日、私は皆の前で宣言する――。
　私は今までの婚約を破棄し、この娘と婚約する！」
　どよめきが満座を揺るがした。

（無茶な展開だな、これは……）
　ざわめきの中、王子は――彼を演じる鴻上彰尋はため息をつく。
　この手の話に、知識がないわけではない。
　役者を志望する彼、普段から勉強に余念がない。
　あらゆる芸能から知識を入手することを心掛けている。
「悪役令嬢」という物語の類型が、漫画や小説であることは知っていた。
　いくつか、勉強のつもりでそれらを読んだ。
　だが、そこに登場する人間はしばしば恐ろしくリアリティを欠いていて、まるで「悪役をするために生まれてきた」存在のようにしか見えなかったのだ。
（舞台ではだれでも、血肉が通っているはずなのに……）
　どのような役にも、一人一人の人生がある。
　たとえどんなひどい相手に見えようとも、彼にはそうするべき必然性がある。
　彰尋自身のやさしさからくる人間理解が、どうにも類型的な存在を許さないのだ。
　――まさか、そんな存在を演じることになるなんて。
　ジレンマである。
　作劇上、必要なことはわかっている。
　自分がそのようにふるまわなければ、話が進まないのも割っている。
　でも、自分が釈然としないセリフを言うのは……。

（おじいさんも、こんなことに悩んだりしたのかな？）

　彼が芝居の道で迷ったとき、いつも指針にしているのは祖父の姿だ。
　偉大なる役者であり、彰尋にとってのあこがれだ。
　彼が舞台に立てば全身が光に満ち、舞台そのものが現実以上に生き生きとし始めた。
　
　夢の舞台。
　あてがわれた役を全うすることが、脱出の条件。
　だが、舞台経験があり、器用な彼はいろいろな役をあてがわれている。
（夢の舞台も、なんだかんだで人手不足なのかな？）
　ともあれ、困っているのなら手助けしないわけにはいかない。

　――さて、どうやって話をつなげたものだろう……。
　ざわめく周囲をよそに、次のセリフを必死でひねり出す彰尋。

　その時、会場の灯が一斉に消えた！
　
　沈黙、そして誰かの悲鳴！
　騒然となる会場。

　そんな彼らを笑うがごとく、壇上のピンスポットの中、現れる。
「『キングス』見参――。
　俺のパーティにも、皆、参加してくれないかな？」

『キングス』！
　その名に、満座がどよめく。

　ピンスポットに照らし出されるのは、純白のスーツに柄のシャツ、そのうえからロングコートを羽織った男。
　傍らには艶めかしいバニーの衣装に身を包んだ妖艶な女が侍っている。

（今だ！）
　王子の衣装を脱ぐ間もなく、鴻上彰尋はブースに向けてキュー（合図）を出す。
　おそらく人ならざるもののスタッフが、機材を操作しているのだろう。
　突如重々しいＢＧＭが流れ始める。
『魔王』。キングスのテーマ曲。
　暗く沈痛な音楽は、キングスのカリスマを象徴する。
　
（演者が音響係までやるなんて、聞いたことはないが……）
　汗を拭いながら、鴻上は自分の予定を確認する。
　彼の頭の中では、自分の即興劇の他に、舞台全体の段取りがあり、そこにはいくつもの穴、いくつもの予想されるトラブルがあることも知っている。
　舞台の表も裏も知悉する自分が、この危うい橋渡しをするしかない。
　次は王子として、憎まれ役に徹しなければならない。
　

　輝く照明と、まがまがしい音響の中、昂然と立つマフィアのボス。
　招かれざる客。
「キングス……」
　男の正体を知る者は、恐怖に彩られたその名を呟く。

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