勿忘草奇譚｜リアクション

勿忘草奇譚

「『学問なんて覚えると同時に忘れてしまってもいい。でも底に一つかみの砂金が残っている。それが尊いのだ』」

　修のその言葉に男性が顔を上げ、修を見た。
「ほぅ……君はなかなか、思慮深いことを言うんだね」

「と、俺は思うだけですよ」
　そう言って修は笑い、言葉を続けた。
「あなた、小説家ですね？」

　男性は驚きつつも困ったように笑った。
「おやおや、どうしてわかったんだい？」
　修は男性の手を指し、その質問に答えた。
「今時、筆たこができる人はそういないですよ。おそらく『昔』の小説家ではないですか？」

「正解だ八神」
　男性を探していた彰尋が、男性と修の間に入った。

「鴻上か。じゃあやっぱりこの男性は過去から来た文豪……『だ……」
「シュウさん、だ」
　修がおそらく『文豪』の名前を口にしようとしたところで、すかさず彰尋が遮った。

「あ、そうそう、シュウさん小説を書かないとみたいで。この辺りならゆっくり書けるかしら？」
　ピリピリとした空気を取り払うように、彰尋と一緒にいた美野梨が口を開く。

「ありがとう、お嬢さん」
　男性は、小説コーナー近くのテーブルと椅子に腰を下ろした。

「じーじ、ごほん、かくれすか？」
　本を返し終わったことこが、ひょこっと顔を出した。

「そうだよ。ただ、残念ながら今は用紙もペンも持っていないんだ」
　男性の言葉を聞いた美野梨が、紙とペンを取り出し、男性へと渡す。
「これで書けるかしら？」

「あぁ、ありがとう。しかし、お嬢さんはなぜこのようなものを持っているんだい？」
　男性は美野梨から受け取りつつ問いかけた。
「シュウさんが、小説家とのことなので、サインいただけたらと思って」

　ははっと男性は笑った。
「サインか」
　サインは書いてくれそうになかったが、なにやらさらさらと書き始めた男性。

「うわー！　むずかしいじーじいっぱいれす！　とー、よめにゃいれす……」
　ことこが男性の手元を覗き込みながら、好奇心に満ちた目でそれを見ていた。

「とーも、じーじいっぱいおぼえて、むずかしいじーじのごほん、よみたいれす！」
　ことこの言葉に男性が微笑む。
「いつか、読めるようになるよ、きっと」

「ところで、先ほど青年は『今どき筆たこができる人はそういない』と言っていたが、この時代の小説家はなぜ筆たこができないのかな？」
　ふとペンを置き、男性は首を傾げた。

「今はパソコンという機械が普及していて、小説などはその機械で文章を作ることが多いです」
　彰尋が説明すると、男性は驚いていた。
「機械で文章が作れるのかい？　それは素晴らしい発展だね」

「あ、もうすぐとそかんおわっちゃうれす！　とー、ごほんかりてくるれす！　にーにと、ねーねも、おてつだいしてくださいれす！」
　そう言ってことこは彰尋と美野梨を連れて、走って行ってしまった。

　残された男性に修はふと質問した。
「あなたは、なにを思い、なにを表現したく、筆を執りますか？」

　男性は空を見つめ、答えた。
「さてね。それがわからなくなってしまっていたんだよ。試みた途端、運命というものは決められてしまうだろう？　人生には試みなんてものは、存在しないんだよ」

「確かに。やってみるのは、やったのと同じ、ですからね」
　修も空を見つめ、答える。

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