勿忘草奇譚｜リアクション

勿忘草奇譚

　２人と別れた男性は、寝子島署の近くを歩いていた。

　その姿を偶然目撃していたのは、寝子島警察署の巡査部長、水槻清恋だった。
　見慣れない服装で、なにかぶつぶつと呟いているその男性は、明らかに怪しかった。清恋は、職務質問をするため、警戒しつつ背後から男性に声をかける。

「あの、少しお話よろしいですか？」
　男性が振り返る。
「なにかな？」

「私は寝子島署の水槻と申します。ここでなにをしているんですか？」
　質問する清恋に男性は答えた。
「あぁ、少々迷子になってしまってね。けどここが日本だということが分かった。今は散歩をしているところだよ」
『日本だと分かった』という言葉に引っかかった清恋は問いかけた。
「あなた、どこからきたんですか？」

「いや、私も日本に住んでいる。しかし、この場所はまだ私の知らない土地のようだ」
　服装や言動からもしや……と思った清恋は恐る恐る問いかけた。
「今……元号ってなんでしたっけ？」
　男性は不思議そうな顔をして、そして当たり前のように答えた。
「なんだい、お嬢さんは元号を忘れてしまったのかい？　今は昭和だよ」

　清恋は驚いた。自分から聞いたとはいえ、まさか、と思った。
　しかし男性がふざけているようには見えない。
「あなた、職業は？」

「しがない小説家だよ」

　昭和時代の小説家が目の前にいる。
　どう受け止めれば良いかわからない。病院へでも連れていったほうが良いのだろうか。そう思いつつも、やはり男性が嘘をついているようには見えない。

「そう、ですか。急に声をかけてしまい申し訳ありませんでした。道中お気をつけて……」
　清恋は平静を装い、そう答えるのが精いっぱいだった。

「構わないよ。お嬢さんもお気をつけて」
　そう一言声をかけ、男性は去っていく。

　そんな男性を見送りながら清恋は呟いた。
「本当に過去から来た人だとしたら……このまま放っておいていいのかしら……」

　カランコロン
　清恋と男性は、寝子島署近くにある古書喫茶『思ひ出』へと入った。

「急に呼び止めてしまってすみません」
　謝る清恋に男性は気にする様子もなく答える。
「構わないよ。ところでここは？」

　たくさんの本が立ち並ぶ店内を男性は興味深そうに見ていた。
「ここには古今東西の本が置いてあります。小説家ということでしたので、なにか思うものがあるのではないかと思って」
　清恋は、なにか男性に関係のある場所に連れて行けば過去に戻るきっかけが見つかるかもしれないと思った。

「わざわざありがとう」
　男性は微笑み、ずらっと並んでいる本ひとつひとつに目を通していた。

「なぜ、生きていなければいけないのか、その問いに悩んでいるうちは朝の光を見ることはできない」
　男性は突然呟いた。
　「だが、そうして苦しめているのは、その問いただひとつに尽きているとは思わないかい？」

　清恋は迷わず答えた。
「私たち警察官がその朝の光として、その方たちを救います」

　男性は本から目を離さずに、ふっと笑った。
「そうか」

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