雨の中のワルツ - a waltz in the rain｜リアクション

雨の中のワルツ - a waltz in the rain

　やっぱり降り出したね。
　雨の匂いがする。
　小さかったころお気に入りだった毛布の匂いに似ているかもしれない。
　佐藤英二は傘の柄を握りなおした。安物だけどグリップ部分は木製、素材を活かしているのかちょっとゴツゴツしていて、その感触がお気に入りだ。
　さっと開いて雨の中に出ていく。傘を持ってきたのは正解だった。
　英二は朝、なんとなく空気が生ぬるかったから、天気予報を確認することもなく傘立てから紺色の傘を抜いていたのだ。

　勢いよく振り付けるような雨、風もあってなかなか手ごわい。風上に傘を向け盾のようにしてしのぎつつ進んだ。それでいて水たまりも避ける必要があるから、これはそれなりにテクニックが要求される歩みと言えるだろう。
　AI内蔵のロボットとかだったら、まだちょっと難しいだろうね、こういうの。
　ぼんやりと思ったりする。
　ああでも、ロボットだったら水たまりとか気にする必要ないのかな。
　強烈な風がひとつ吹き付けた。ざっと降り込まれる。通学カバンにびしゃびしゃと当たった。
　いけない。本を買ったんだった。
　最近書店はビニール袋をくれないから、紙製のカバーだけつけてもらったのをそのまま入れている。カバンにはもちろん教科書やらなにやらも詰まっているのだけど、買ったばかりの本しかも決して安くないオールカラーのぶあつい一冊なので、読むより先に浸水するのは忍びなかった。
　ちょうどガード下にさしかかったので傘を置き、急いでカバンを開け確認する。
　無事でいますように。
　よかった、カバンの中身はまったく問題ない。
　すきまから雨が入らないよう、ちょっと持ち方を工夫しなくちゃ。
　しかしここで「あっ」と声が出た。
　黒い折りたたみ傘が一本、ちんまりとカバンに収まっていた。
　なんだ、傘あったのか。もってこなくても大丈夫だったかな。
　なにかの機会に入れたものが、入れっぱなしの常駐になっていたものだろう。
　といってもこの強風だ。気休め程度の折りたたみなんてあっさりボキッといってしまうかもしれない。やっぱり、ちゃんとした傘を持ってきて正解だったと思う。
　大事な書籍はカバンの奥に、逆に折りたたみ傘は雨よけの意味もかねて上のほうに配置し直し、さらにカバンを胸に抱くようにして再度雨の下に一歩踏み出す。
　英二が背後から、聞き慣れた声を耳にしたのはこのタイミングだった
「ひょおー！」
　これは野々ののこの声だ。
「野々さん！？」
　もちろんこちらが英二の声。
　ところがののこは英二の存在に気づかず、そればかりかここがガード下であることすら認識していない様子で爆走をつづけカバンで頭部を覆いながら追い抜いていった。全身雨に濡れているようだ。傘を持たない状態でこの天気に遭遇したらしい。
「待って！　野々さん」
　なにせ突然のことだから英二も頭がまわらず、とっさに叫んだのはこの一言だった。
「ここガード下だよ！」
「へ？」
　ののこははたと足を止めた。
「ほんとだ」
　振り向いてヘヘヘと笑う。
「こんにちは、英二くん」

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