【お花見】逢ひ見んことは命なりけり｜リアクション

【お花見】逢ひ見んことは命なりけり

　なびくは夜のごとき黒髪。ひるがえるは、同じ色のゴシックなドレス。しかしいずれにもオーロラの袖のような、黒みのある翆（みどり）が差し色として入っている。
　アンティークドールか森の精霊か。
　スケッチブックと色鉛筆のボックスをたずさえ、三宅葉月は桜の花をスケッチするのに適した場所を探し歩く。

　ちょっと花見客が多いかな。
　ここは散りすぎ。
　残念、座れそうな場所がない。
　急ぐものではないから、葉月はじっくりと場所探しをするのだ。
　急がないといえば――。
　この春、葉月は寝子島高校を卒業した。
　だからといって時間がありあまっているはずもない。葉月はこの秋には海外留学することになっているのだから。試験や準備の必要上、遅くとも夏には日本を発つことになるだろう。
　もっとも、その前に立ちはだかる壁があって、いずれ遠からず直接対決することになるのだが。
　さきの予定は詰まっているといえる。
　だから急いでも仕方ないわけだ。すでに意思は決めている。ときが至れば明らかにするのみだ。説得できようと、できまいと。
「決めたのだから、恐れる必要なんてないのよ」
　自分に言い聞かせるようにつぶやく。
　いまはただ、寝子島の桜を楽しもう。
　もしかしたら、あと数年は見ることができないかもしれないのだから。
　閑かな空間に足を踏み入れた。
　寝子島総合病院の庭だ。ここならスケッチに集中できそうだ。
　と思ったら。
　目の前になにかが飛んできた。小さい……いや、思ったより大きい……いやいや、猫くらいの大きさの、人？　でも羽根があって飛んでいる人なんていないし。
　だったら妖精だろうか。
　妖精はあっというまに巨大化して、ついには葉月とあまり変わらない大きさに達した。
　このときにはもう、妖精が大きくなったのではなく自分のほうが小さくなっていることを葉月は理解している。
　妖精がいたっておかしくない、なぜならここは寝子島だから。葉月の寝子島生活も長いから。
　奇跡や不思議はたくさん見てきた。葉月はパニックになったりしない。
「ええと、妖精さん？」
　私になんのご用？　と葉月はたずねる。
　さく、とその妖精は名乗った。にっこりとして。

　風が、冷たい。
　寝子島総合病院を訪れ、サキリ・デイジーカッターが最初に思ったのはこれだった。
　外はまるで初夏みたいな陽気だったのに。
　一歩踏み込んだだけでこの変化だ。
　ここの空間は、異なっている。
　首のうしろのうぶ毛がチリチリと逆立つような感覚。
　なにかが起こっている。肌で感じた。
　しかし戦い慣れしているせいか、サキリはすぐに警戒をといた。殺気はない。絶神や山羊鬼のような存在は感じなかった。魔が潜んでいるわけではなさそうだ。
　むしろ寂しさを感じる。
　なんだろう。
　朱い目を細めた。
　サキリはこの日、桜の精さくに会うため病院の桜のもとを訪れている。
　去年は魔女達のせいで一騒動あったのを覚えている。
　あれからどうなっただろう？　それを確かめるという目的があった。
　しかし主目的は別だ。
「出てきていいよ」
　と呼びかけたときにはもう、サキリは柔和さを取り戻している。
　美の神ですら恍惚となるような表情で告げた。
「今年は色々なお菓子と紅茶をもってきたから」
　これで皆と一緒にお花見をしたい、と続けるより先に、いずこからか花弁が落ちてきて、サキリの肩に止まった。
「あいにきてくれたんだ」
　ありがとう、と花弁が言った。
　花ではなく、花の妖精だった。
　うなずいたときすでに、サキリの身体は縮みはじめている。