早死にするのは善人だけ｜リアクション

早死にするのは善人だけ

　夜空というより宵のころ、もっというなら夕暮れどきか。すこし前なら真っ暗だった頃合いも、今は足元に落ちたガラス玉を確認できるほどに明るい。
　日が長くなっているのだ。毎日、少しずつだが着実に。
　なのでこの距離からでも、互いの顔ははっきりと確認できた。
「あ……」
　君はあのときの、と今道芽衣子は言った。
「はい、八神修です」
　だったね、とつぶやくように言って芽衣子は自然に視線をそらす。
　まっすぐな目を直視できない、そう言っているかのように。
「お久しぶりです、今道先生」
　修は頭を下げた。
「もしかして八神君」
　ここまで口にしかけたものの芽衣子は、「偶然ね」と軽く肩をすくめるにとどめた。
　だが修は即答する。
「偶然通りかかったわけじゃないです」
　芽衣子のまなざしの先を追うようにして高架橋に顔を向けた。
「俺も、この場所が気になって」
　高架橋の下にある河川敷、広いばかりで目立つものはない。
　寝子島中学生脇坂香住（わきさか・かすみ）が銃の乱射事件を起こした場所だ。
　あの日のような雪はもうなかった。とうに現場捜査も終わっているので、侵入禁止のバリケードなどは跡形もなく取り払われている。
　マスコミが集まりそれ以上の野次馬が押し寄せ、一時騒然としていたのが嘘のようだった。橋をたまに列車が通るほかは、人通りもなく寒々しい。
　芽衣子は河川敷まで降りはしない。
　立ち去りもしない。
　その場を動かずにいる。ただ河川敷を見つめている。
　こうしてたたずんでいることで、なにか理解できるとでも言うかのように。
　あるいは、誰かを待っているかのように。
　ベージュのコートが風を受けはためいている。芽衣子の横顔は、修の記憶よりやつれて見えた。
「それで」
　芽衣子の口元がかすかにゆるんだ。
「加害生徒の副担任に取材かしら？　新聞部さん」
　皮肉な口調にならないよう気をつけている様子だったが、どうしても皮肉に響いた。
　軽率なことは言えないな。
　修は口元をすぼめる。
　脇坂香住が寝子島中学の二年生であること、倒れた担任のかわりに香住の副担任である芽衣子がテレビなどの取材にこたえていたこと、これは公然の秘密だった。知らなかったなどととぼけるほうが白々しい。
　だからといって、「ええ、是非お話をうかがいたく！」などと下品に腕まくりする気も修にはさらさらなかった。
「そういうんじゃないです。報道のまねごととか、今日はまったく考えていません」
　新聞部の活動は『まねごと』じゃなく本物のジャーナリズムだと修は認識しているものの、あえてそういう言い方をしておく。ここで報道論など一席ぶちたいわけじゃない。
　わずかに修は足元に視線を落とし、すぐに上げて芽衣子を見た。」
「ただ……よければ少し、話をしたくて。先生とはまったく縁がないわけじゃありませんから」
　ここは寒いです、とつづける。
「どこか暖かいところに行きませんか」

　タタン、タタン、と回送列車が高架橋を渡る音が響いた。
「……前にね」
　ようやく修を見て香住は告げた。
「たしか私、君に言ったと思う。八神君は真剣な目でズバズバ来るから、相手を身構えさせるかもしれない、って」
「今の俺、そんな状態でしたか」
　無意識のうちに修は右手で、自分のまぶたに触れていた。
「そうかも」
　あいかわらず容赦がないな。修は内心苦笑する。
　しかし芽衣子は、「けれど」と付け加えたのである。
「強気で来られて助かるときもあるよね」
　行かない？　と芽衣子は先に歩き始めた。　　
「小さいけどいいカフェがあってね。この少し先に」

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