嫌な客、というのが
紗央莉(さおり)の第一印象だった。
残念ながら現在に至っても、その印象は変化していない。
といってもたまにいる、身だしなみが不潔な手合いではかった。そればかりかいつもイタリアンブランドのスーツといういでたちで、コートや靴はもちろん腕時計も、嫌味すぎないランクの高級品だった。しいて妙なセンスを挙げるなら、いまどき珍しいくらいのリーゼントにしていることくらいだろうか。クールに整えたヒゲ、長身の細身、年連は四十路前後、テレビタレントの某に似ている。紗央莉の好みではないがハンサムではあった。
金離れもよく、さほど酒は強いほうではないが必ず高いシャンパンやブランデーをあけた。二週間ほど前にふらりと単身訪れて以後、二日とあけず顔を見せている。ここ数回は毎日紗央莉を指名するので、太客(ふときゃく)として歓迎するべきだろう。
でも、嫌な客だ。
大阪弁が苛立つからだろうか。
ちがう。紗央莉はわかっている。
嫌なのはあの目だ。
クラブ、と書くと社交場のイメージだし実際そういう看板を出してはいるものの、要するにキャバクラ、店名は『プロムナード』。
今宵も店のL字型のソファに座って、紗央莉は嫌な客――
松木長(まつき・たける)の相手をしている。
島外の人間らしいのだが、松木は寝子島の話や自分の仕事の話を一切しない。口説いてくるわけでもないどころか天気やテレビの話すらしない。ただ紗央莉のことばかり知りたがった。
趣味や私生活だけではない。考え方についてもだ。たとえばこんな風に。
「へ~そうなんやー、知らんかったわ。それでな、紗央莉の意見も教えてほしいんやけどなあ」
「私ですか? そうですねえ……」
職業上そういう質問にはロクヨン、つまり嘘六割真実四割で回答するのがお紗央莉の常だが、ねちっこい松木の話術に乗せられて、気がつけばハーフ&ハーフないしはそれ以上の割合で自分のことを明かしていたかもしれない。
それくらいなら、他愛もないと切り捨てることもできよう。
しかし相手が松木であればそうもいかない。
紗央莉の話を聞いているあいだ、松木はずっとことこちらを値踏みするような眼をしていた。猛禽類のような。
この目が嫌なのだ、紗央莉は。
舐めるように見分されている。自分が品評会に出されるミニチュアダックスになった気分になる。
「そんなぁ、難しい話はわかりませんよぅ」
バカのふりをして答える。わざとケタケタと笑ってみたりもする。大抵の客が相手ならこれで通じるのだが、松木の場合はそうもいかない。
「ほんまかなぁ、紗央莉ならわかってるんちゃうかなぁ?」
酔いに溶かされたような表情でこうやって、疑っていることを隠しもしないのだ。
これも嫌だ。すごく。
腹の底まで見透かされているようで。
その夜松木はほとんど飲まなかった。高級シャンパンをボトルで頼んだが、中身はずっと紗央莉に勧めるばかりで自分はジンジャーエールなんかを口にしている。
そうして何度目かの指名ののち、おもむろに言った。
「なあ紗央莉、うちの店に来うへんか?」
それまで適当に相づちをうって笑っていた紗央莉が、急に真顔になった。
「……なに? 引き抜き?」
もう敬語も使わない。
「それが言いたくて、数日ここに通ってたってわけ?」
なるほどと紗央莉は考えている。松木という男が、昼間の職業でないことは薄々感じ取っていた。同じ業界だとも。それにしてもずいぶんとダイレクトだ。店内でもちかけてくるなんて古今例がないと思う。
「せや、俺の店に来い」
きっぱりと松木は言った。口は笑っているが目はそうではなかった。
「あんたスカウトマンなの?」
「ちゃうで、経営者や。大阪のな」
雑誌でもしばしば紹介される大手のキャバクラ店名を松木は挙げた。
キャバ嬢の引き抜き。この業界ではよくあることだ。といっても大都市で、同じ商圏でやるのが通常だ。嬢についている常連客も一緒に引っ張れるからである。なのでこんな風に、中央から遠い寝子島に手を伸ばすのは珍しい。
しかしこういった地方の、埋もれた店からメンバーを引き抜くことで店は繁栄してきたという。
「大阪にな、オールスターチームを作りたいねん。俺のな」
だが紗央莉は鼻で笑った。
「ご冗談」
仮にも自分はこの店のナンバーワンである。それにワンオブゼムになれという。見くびられたものだ。
松木は笑みを崩さなかった。
「この二週間、ずっと観察しとった。お前、もろとるのこれくらいやろ?」
と言って紙ナプキンにさらさらと数字を書いた。予測した紗央莉の月給だ。指名代やナンバーワン獲得の臨時賞与、アフター手当まで考慮に入れたかなり正確な数字だった。
「俺やったらこんだけ出す。それも基本給や」
ぎょっとするほどの数字が出た。
「ここから指名次第でなんぼでも増えるで」
松木は身を乗り出す。
「紗央莉、お前ならうちのトップを狙える。こんなちんけな店で満足せんと上を目指せや。女が稼げるんは今のうちだけやで」
紗央莉の顔をのぞき込むようにして続けた。
「ちなみに先月、うちのトップにはこれだけ渡しとる」
目が眩むような数字がナプキンの上に躍った。
「でや?」
紗央莉が大嫌いな目を、逆さにして伏せた灰皿みたいに歪めた。
しかし紗央莉は鼻で笑った。あおいにくさま、と言うかわりに告げる。
「何でもお金で買えると思わないことね」
この反応は予想していたのだろう。松木はニヤリと歯を見せた。
「別にええで。お前が嫌(や)なんやったらセカンドの子――
泰葉(やすは)に声かけるから。あいつもかなりの逸材や。片田舎に埋もれさせるの惜しいわ」
紗央莉の顔色が変わったことを察したのだろう、「あとな」と満足気に松木は続けた。
「この店、クソ田舎のわりにおもろい子多いやんか。紗央莉がメインやけどあと何人かつまんでいくつもりや。
九鬼姫(くきひめ)、あの子もな。頭おかしいこと言うとるがマニアの客がつきそうや。それから
あんなな、素人くさいけどまだ伸びしろがあるで」
それから、と松木の視線が、この日ヘルプで入っている不定期アルバイト
瑠住(ルース)こと
豊田 華露蘿に伸びた。
「あの子や。あれもトップ争いに噛ませたいわ。全員うちの店に引っ張る」
「でもそんなに引き抜いたら」
紗央莉の言葉にかぶせるようにして松木は言った。
「せや。この店、殺(と)ったるわ。俺気に入らんねん、こういう店」
外人が経営しくさりやがって、と言う松木の口調も内容も、紗央莉ははっきりと嫌だと思った。
だけど――。
□ □ □
最近の研究では三月の後半くらいまで、冬の範疇に入るらしい。
だろうねと
アルチュール・ダンボーこと
香川 道太郎(かがわ・みちたろう)は思う。
だってこんなに寒いんだから。
朝夕はまだ冷える。とりわけ朝は冷える。
ぶるぶると震えながら道太郎は『自宅』の窓を開けた。窓といっても段ボールだ。そもそも『自宅』がぜんぶ段ボールだ。段ボールハウスなのである。公園の片隅に立っている。
移動自由自在組み立て簡単なこの家だけれど、ウインターシーズン向けではない。道太郎は段ボール芸術家、箱を使った家の設計も改造もお手の物、住み心地という意味ならなかなかのものだが、それでも完全防寒とはいかないのである。
やっぱり今月はまだ、ホテル暮らしのほうがいいかなぁ。
あくびをしながら考えた。雪の季節も終わったし繰り出してみたのだが、アウトドアライフを送るにはまだ早い気がする。
道太郎は芸術家だ。市町村や公民館、リサイクル業者に頼まれて段ボールの芸術品を組み立てる。彼の手がける段ボール動物たちは、まるで生きているみたいと好評である。呼ばれればどこにでも行くというスタンスで全国を放浪していた彼だが、ここ一年ばかりは寝子島に居ついていた。
端的に言えば寝子島が気に入ったから。
死んだ兄の思い出が残る土地だという理由もある。
歯磨きと身だしなみのため公園の水道まで移動しようとしたところで、
「なああんた」
道太郎は誰かに呼び止められた。
先日はタウン誌の取材を受けた。そのたぐいかと思ったがどうやら違うようだ。
ひどい猫背、背中の丸まった男だ。首だけぐいと上向きなので変形途中のロボットみたいな印象もある。工場の作業服みたいなジャンパーを着ていた。
「アルバイトをしないか?」
自分のことをただのホームレスと思っているようだ。まあ、ホームがレスなのは間違いないけれど。
「なあに並ぶだけさ。簡単だよ」
「裁判でもあるの?」
そういうアルバイトがあると聞いたことがある。新聞社やテレビ局に雇われて、大きな注目を浴びている事件の裁判、その傍聴席の抽選にならぶのである。
「違う違う。買うのはゲームソフトさ」
資金は提供するので並んで買ってもってくれば、多額のバイト代と交換するという。
ゲームに興味のない道太郎には、なんのことだかわからなかった。
ただ、その金額があまりに多いので、なんだかうさん臭いなという印象は受けた。
その朝、いつものようにゲームショップ『クラン=G』のカギを空けようとした
三佐倉 千絵(みさくら・ちえ)は、異様な光景を目にして凍りつき、正面ドアに行くのをやめて裏口に回った。
裏口の鍵を外し身を滑り込ませる。裏口ドアを使って入るなんて何ヶ月ぶりだろうか。
なに? なんなの?
店の外に気付かれないよう身を伏せて店内に忍び込み、電気を付けないまま千絵は、仕入れ台帳をめくって調べはじめた。
「どうして自分の店なのに(※)こんなにコソコソしなきゃいけないの――?」
ぶつぶつと言いながらめくっていて、たどりついた。
やっぱり仕入れてる! 『DIE YOUNG 2』限定版!
蒼白になった。
お父さん……!
いま目の前に父が居たらドロップキックのひとつもかましてやりたいところだ。
この『クラン=G』はホビーの店だ。プラモにフィギュア、ボードゲーム、トレーディングカードゲームおよびそれらの関連書籍が店の売り上げの柱で、とくにボードゲームに関しては寝子島のみならず日本屈指の品揃えをほこっている。カプセルギアなども好評だ。
だがコンピューターゲームは基本的に置かない。嫌っているわけではないのだが父親も千絵もこの方面には知識が浅いため扱っていないのだ。『クラン=G』の別名は非電源の殿堂である。
ところが父が仕入れてしまったのだ。
超人気ゲーム『DIE YOUNG』の続編、それもフィギュア付き特装版を! 当然初回限定品である。フィギュアがついているから店のテリトリーだと判断したのだろう。
調べてみると『DIE YOUNG 2』の発売日は昨日らしい。ゲームだけでもちょっとした争奪線になったとニュースでやっていた。全国的に品切れらしい。よりによってその限定版とは! 昨日店が休みだったので発売が遅れたこともあってこういった事態になったのだろう。
窓の外に目をやる。
すさまじい行列ができている。列の最後尾なんて見えないくらいに。
行列の先頭にいる人はものすごい表情をしている。『クラン=G』にあるらしいという噂を聞きつけて徹夜、いやもっと前から待機しているのだろうか。あの人数からして、島外から来た人も少なくはあるまい。
でも本当にあの行列、みんなゲームのファンなのかなぁ……。
このところ転売目的で購入する人間がいると聞いている。こうやって品薄のものを仕入れ、インターネットなどで信じられないような高額でさばくのだという。そんな人の手に渡るのは千絵としても避けたいところだ。
どうしよう。
ソフトはある。限定品の。
だからといって先頭数人に販売して終了としたら大変なことになりそうだ。冗談抜きで暴動が起きるかもしれない。
なかには暴動に参加したいだけの悪質な者もあるらしい。煽ったり騒いだりして火事場泥棒するような者まで。
そんなことになったらどうすればいいのだ。
あいにくと『クラン=G』には行列をさばくノウハウがない。これまでそんな経験がなかったからだ。
――私には。
千絵は拳をにぎりしめた。
私には、この店を守る責任がある……!
だけど本音を言えばこうなる。
「助けてー!」
頭を抱え千絵は床にしゃがみ込んでしまった。
そんなことを考えている間に開店時間が迫ってきた。
※ ただしくは彼女の父親である
三佐倉 杏平(みさくら・きょうへい)がオーナーを務める店だが、杏平は商品仕入れを名目に外出することが多くほとんど店に出てこない。
マスターの桂木京介です。よろしくお願い申し上げます。
どうしてもガイドが長くなってしまいます……申し訳ありません。
シナリオ概要
日常シナリオです。
今回は『キャバ嬢の引き抜き』『転売ヤー』という話からはじまっているように、ちょっと嫌な要素が含まれたシナリオにしてみたいと思います。
とはいえ、ちょっと嫌な要素が含まれた話、というテーマは一応のものにすぎません。まったく嫌なことがない日常のお話であってももちろん歓迎します。
四月からの新生活に向け引っ越しの準備をする話や新学期の準備をする話、一年後の受験に向け勉強計画を立てる話なんかであってもいいいでしょう。
考えてみれば引っ越しも受験のことを考えるのも『ちょっと嫌』な部分はありますので、いっそのこと胡乱路 秘子さんとドキドキのおでかけをしましょう、なんというお話もお待ちしたいところです。秘子とのお出かけは『ちょっと謎』な展開になりそうですが。
状況
三月上旬のある一日を切り取ったものとなります。
時間帯などの指定はありませんのでご自由にどうぞです。
NPCについて
ガイドに未登場でもあらゆるNPCは本作に登場可能です。
アクションに記していただければ登場できるよう努力します。
ただし以下のNPCだけは取り扱いに注意が必要です。
●三佐倉 杏平(みさくら・きょうへい)
ゲームショップ『クラン=G』のオーナーです。
ぬぼーっとした長身の男性で、髭を伸ばしていたときはオランウータンみたいと言われていました。
娘に店を預けゲームの発売も忘れて、現在はドイツに行っており登場しません。
●アルチュール・ダンボーこと香川 道太郎(かがわ・みちたろう)
段ボール芸術家。段ボールで色々なものを作ることができます。
実はもれいびで、作った芸術品に一時的に命を吹き込み動かすこともできたりします。
転売行為のアルバイトを持ちかけてきた男には不審感をもっており協力しません。むしろなんとかして食い止めようと思っているかもしれません。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、恋人、運命の相手など。参考シナリオがある場合はページ数も)を書いておいていただけると助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい。