●エピローグ


　――星幽塔。
「たった今、月の絶神の気配が消えたの！」
　星幽塔最上階、満天の星が瞬く白亜の広場で、ステラ・ラ・トルレがそう言った。
「ということは……」
　シオ・レイゼルオークの顔に笑みが広がり。
「勝ったってことか！」
　ビゾン・ヘッドロンが猪突猛進に駆けまわる。
「私たちみんな頑張ったです！！　ガンバリリエルったです！！」
　リリエル・エーテライトが万歳すると、それに合わせて万歳三唱の大合唱が巻き起こった。
「お祝いにＢａｒアストラルで乾杯しましょう！　マスターには私が交渉しますから！」
「さんせーい、なの！」とステラは大喜び。
　このあと第一階層にあるＢａｒアストラルへ移動した面々は、ビールはじめカラフルなドリンクで祝杯をあげた。飲めや歌えの賑やかな大宴会は朝まで続き、それから皆、平和でスリリングないつも通りの星幽塔の暮らしへと戻っていった。
　

　――そして、鈴島。
　鈴島の遺跡中心部にある広間には、鈴島で戦った者たちと、気づけば月から戻ってきていた者たちが集まっていた。そして人垣の中央には、ののこが横たわっている。
「あれ……？　どうしたのみんなして集まって……」
　目を擦り、何もなかったみたいに目覚めたののこに、英二は思わず抱き着いてしまった。
「野々さん……！　よかった、無事で」
　ののこはきょとんとして首を傾げ、英二を見て、みんなを見て、そういえばおかしな夢を見たと笑った。
「夢の中の英二君が『投稿小説のネタになるから夢の話を教えて』って言ってたんだ」
「うん……」
　英二はそれは夢じゃないと言いたかったけれど、嗚咽でうまく言葉にならない。
「長い夢だったけど、聞く？」
「……聞く。あとで聞く。今は……あはは、胸がいっぱいだから」

　遠巻きにその様子を見て、テオは安心したように伸びをした。
「絶神は力を失って、ののこと一体化したようだ」
　絶神が完全に消滅する可能性もあっただろう。元絶神先輩になる可能性もあっただろう。逆にののこが消滅したり絶神に吸収される可能性もあった。そんなギリギリの状況の中『寝子高生であるののこ』が今もあるのは、寝子島や星幽塔の仲間たちの力が合わさったからこそ……ひとりじゃなかったからこそだ。
「良かったよ。ところで……テオ、少しばかり確認したいことがあるんだが」
　八神 修がテオに耳打ちする。
「俺の目がおかしいのかもしれないが、合体したままの人や、分離したままの人がいないか？」
「いるな」
「何が起こったんだ？」
「オレに聞くな。ののこの力だ。……より正確には、ののこと絶神の力だろうな。それ以上の理屈はオレにもわからねぇ」
「それって大丈夫なのか？」
「それもわからん。わからんが、寝子島ってとこは天から落ちてきたののこのことも受け入れたくらいだからな。なんとかなるんじゃないか？」
「そんな適当な……」
「私はののこ様が無事ならそれでいいです」
　近くにいた愛猫 萌々子がにこっとする。
「私も美味しいものさえあればそれで」と巫部 紫苑もにこり。
「私たち救えたんですよね。世界も、ののこさんも。だったらそれで充分です。他に何かおかしなことが起こっていたとしても……それって寝子島のフツウって言いません？」と絶神の内側を覗き見た宮祀 智瑜もにこり。
「そうか……そうかもな」
　と修も納得しかけている。

「テオ様テオ様っ、聞いてください、喜んでください！　この時空で一番危険だった《時の特異点》がなくなってます！　このハッピーエンドで未来が確定されたのですわ！」
　ミラがテオにすり寄って来た。
「そうか。良かったぜ。それじゃミラ、お前も帰……」
「帰りません！　だってテオ様のおそばにもっといたいんですもの」
「いや、帰れよ……」
「テオ様。私まだ寝子島で暮らすつもりですけれど、」
　そこでたっぷり一呼吸して、ミラは言った。
「一度天界に戻って父神様にご報告してきますわ」
　『父神様』という単語を聞いた途端、テオは眉間にしわを寄せる。
「あいつに言いにいくのか？」
「それはそうですわ。ののこ様の御父上ですもの。ご心配なさっていたでしょうから」
「あー、あいつ尋常じゃないノノコンだからな……」
「ののこん？」
「ののこコンプレックス。マザコンとかファザコンとかの仲間だ」
「まあ、テオ様ったらそんなことをおっしゃって……言いつけてしまいますよ？」
「むッ、それは勘弁してくれ」
「うふふ。冗談です」
　にこりと微笑むミラに、テオはいやそうな視線を向ける。
　このいいなずけと結婚したら上手に尻に敷かれてしまうかもしれない……というところまでテオの想像は及ばなかったが、何とも言えない深いため息を吐かずにはいられなかった。
「やれやれ。……またやっかいな日々が続きそうだぜ」
　
　鈴島で待っていた恵御納 久隆、恵御納 理沙夫妻と深縹 露草が、温かい料理を振舞ってくれるという。
　有難い提案だ。たしかにとても疲れたし、とてもとてもお腹もすいた。
「さあみんな、どんどん食べてね」
「うちの妻が腕を振るったんだ。不味い訳がない」
「アツアツが美味しいですよ。どうぞ遠慮なく召し上がってくださいね」
　おおー！　と喜色の歓声があがる。
「めっちゃ旨そう！」
　ろっこんの反動でお腹がぺこぺこな山田 勘三郎はテンション上がりまくりだ。
　出てきたのは山盛りの鳥の唐揚げとフライドポテト。
　ジャガイモは久隆が持って来たものとして、鶏は――？
「うわっ、皮もパリッとしてジューシー！」
　……あまり考えてはいけないのだろう。

　ただいま、という声がする。恵御納夫妻は優しく我が子を出迎える。
「――おかえりなさい」
　
　ちょっとだけ違いは生まれたかもしれないけれど。
　フツウの日々が、戻ってきたのだ。


　――最後に、月。
　岩石だらけの平原に昇ってくる地球は、眩しいくらいに青く美しい。
　ちょうど太平洋に浮かぶ日本がこちらに顔を見せている。
　よくよく目を凝らせば、寝子島たる点も見えるはずだ。
　死の湖の地下溶岩洞にはまだ氷が残っているかもしれない。
　それを誰かが見つける日が来るかもしれない。
　しかしそこに絶神はもういない。
　いまはただ、月の静寂があるだけだ。
　十年後か、百年後か、千年後か――。
　いつか誰かが科学の力で月を訪れるその日まで、静寂が破られることはないだろう。

＜了＞