くくつかみおに｜リアクション

くくつかみおに

　――ああ、くやしい。うらめしい。

　七夜あおいはぼやりと滲んだ意識の中、くくつと名乗る妖の声を聞いていた。
　まなこを閉じたあおいには闇の中に伏し目がちに立つ少女の姿が見えている。くくつ、だとあおいは認識する。紅に桜をあしらった豪奢な着物を纏い、長く波打つ髪には桜の彫りも見事な塗り櫛を挿した少女は、怒りと恨みで肩を小さく振るわせている。やがて少女は面を上げ、袖先を口元にあてて高く嗤った。

　――人間なぞこの程度か。我が恨みを晴らすための傀儡となるがいい。

　重たい瞼が自らの意思に反してうすらと開かれる。色の禿げた鳥居に朽ちた社、地を覆う枯草の乱れたさま。落神神社だと朧げに思う。月が出ているのに昏いのは、くくつが意識に入り込んで自分を覆いつくそうとしているからなのか、それとも黒々と伸びた髪が視界を覆っているせいなのか、あおいには判断がつかなかった。

◇

（待っている？　何のことだろう？）
　小山内海はねこったーにあげられていた写真を見て手を止めた。アカウントはあおいのものだが、その投稿は異質だった。髪に挿した桜模様の塗り櫛を撮影したものだが、ふだんのあおいの投稿とは雰囲気が違っている。ひとことで言えば、不吉な感じだ。
　海は違和感に胸がさざめくのを感じ、しばらくその写真に見入っていた。
（綺麗な櫛だな。あれ、でもこの櫛どこかで……）
　ふいに似た櫛を見たことがあったのを思い出す。
（去年にあったつつもの櫛に似てるんだ。あれ？　ってことはもしかしてあの櫛もつつもの姉妹の……）
　そうだとしたら、状況すらもあのときと酷似しているのかもしれない。
（あおいちゃん、また操られちゃったのかな）
　だとしたらなんという巡り合わせ。
（そういう星のもとに生まれているのかな）
　思わず苦笑したが、きっと今は悠長にしている場合ではない。
　つつものときに、櫛に操られる体験をした海にはわかるのだ。
（彼女たちはこっちの体の事なんか気にしないから早く止めてあげないと大変なことになっちゃう）
　行こう。海は手早く上着を羽織ると、桜花寮の自室を飛び出した。

◇

「ふふ、これで良いでしょう」
　エレノア・エインズワースは準備を整えると手袋をして外出した。
　ロングコートの内側には、消毒用高濃度アルコールのボトルと水鉄砲、ライター、そして以前つつもとの戦いの際に入手した牡丹の蒔絵の櫛を収納。右手に空の18Lポリタンクを持ち、左手には愛用の日傘を持つ。背には妙に重そうなリュック――中身を明かすのはのちの楽しみとしよう。
　目的地はもちろん落神神社であるが、エレノアはつつもの時と同じ猫又川を経由するルートを選んだ。川の水を半分ほどタンクに汲み、落神神社への道を歩いてゆくと「懐かしい」という感覚に襲われる。
「あのときもこうして、両手で持ってポリタンクを運びましたね」
　山道を静かに上ってゆく。
　月は明るい。目も慣れてきた。
　じきに落神神社の社が見えてきて、その境内に人影が佇んでいるのを認める。
「七夜さん……いえ」
　あおいの風貌は普段とはまるで違っていた。目は開いてはいるが虚ろで意思が感じられない。髪は結び目がほどけ長く波打つように伸びており、夜闇を映して黒々としている。手にはどこぞから引き抜いて来たと思しき赤い逆三角形の『止まれ』の交通標識。その柄の根元にはまだ土がついている。
　その異様さに、エレノアはくつくつと笑いがこみ上げてくる。
「ここで事を構えるのも随分久しぶりな気がしますね？　精々１、２年前なのに、もう何年も前の気分です」
　
　――つつもを消したのはお前か。

「あのときは私のほかにも大勢いました。今宵は今のところ、私だけのようですが」
　やれやれというようにポリタンクとリュックを地面に置く。
　ここまで荷物を運んで凝ってしまった首筋をぐるりと回し、悠々とした仕草で水鉄砲に水を込めると、エレノアはあおい――いや、くくつに向かってニタリと笑った。
「で、貴女が例の櫛の眷属と、はいはい、じゃあ始めましょうか」

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