◆曇り時々大荒れ
(えっ、もう来たの？　……最悪。傘持ってきてないんだけど)

　台風の上陸が早まる可能性があるという事で、寝子高の授業は午前中で休校になった。それなら早く帰ろう。そう思っていた椎井 莉鳥が外に出た途端、先程まで降っていなかった雨が突然降り始め、莉鳥に強く降りかかり、更には風まで強く吹き始める。いきなり散々な目にあった莉鳥は、表情こそあまり動かさないものの、機嫌はかなり悪くなっていた。

(誰か呼ぶのも大袈裟ね。傘を買いに行くにしても濡れるし、それなら走って帰ってすぐお風呂に入ったほうが良いわ)
　ため息を一つ吐くと、莉鳥は心を決めて走り出そうとした。刹那、目の前から大雨と強風が降り注ぎ、莉鳥の髪や制服、バッグを靡かせびしょびしょにしてしまう。莉鳥は理不尽な状況にやり場のない憤りを覚え、無表情のまま目を瞑り噛み締め固まっていた。

「あはははっ！　これで雨に濡れても大丈夫じゃない？　良かったね！」
「そんなに焦らないでさ、危ないから無理しないでゆっくり帰りなよ！」

　ビューン、と飛んでいった大イタチ達に莉鳥は振り返る。奴らの仕業か……。莉鳥の表情に、影が差した。瞬間、莉鳥は無表情で走り出し大イタチ達を追い掛けていた。物凄い速度で。

「いやーいいことしちゃったかなー？　そうだ、これから雪も降らせてあげようよ。人間って雪なんかで喜ぶみたいだからさー」
「くふふ、いいねやっちゃう？　雪だるま作れるくらいに降らせちゃう？　そっちの方が喜ぶんじゃないかな？　うぶうっ？！」

　横に並んで話しながら、ふよふよと浮遊していた大イタチ達が、突如地面に叩きつけられる。ずざざぁーっと、暫くの距離を滑った大イタチ達は、暴れながら浮遊し慌てて振り返る。そこには無表情ながら怒りを顕にさせた莉鳥が立っていた。

　何があったかと言うと、大イタチ達に追いついた莉鳥が、跳躍し両手で大イタチ達の背中を掴み、全体重を乗せ地面に叩きつけたようだ。お陰で水たまりの水が跳ね、思いっきり水を顔に被り、莉鳥の機嫌は更に悪くなっていた。

「な、なにするんだよぅ！」
「なにするですって？　こっちのセリフよ。いきなり現れて好き勝手言って、台風を呼んでいるのもあなた達の仕業でしょう？　迷惑よ。寝子島から出ていって。出て行かないなら……痛い目、見る？」
　莉鳥が目を瞑ると、莉鳥の指先からバチバチと音を立て、電流が発生する。その音と、目に見えるほどに強力な電気は、大イタチ達をたじたじさせるに十分だった。

「な、なんだよやろうってのかい？　それなら大怪我するの覚悟した方がいいよ！」
「そんな電撃がなんだよね？　こっちだって落とせるんだからさ！」
しかし大イタチ達も負けてばかりいない。ピシャンピシャンと雷を周囲に落とし抵抗を見せる。それを見た莉鳥は決めた。一切手加減しない。莉鳥は大イタチ達が動き出すよりも早く動き、大イタチ達目掛け走り出した。



（雨か。傘持ってきて良かったな）
　季節外れの台風で午前中に休校なった寝子高の帰り道。降り出してきた雨を見やり、北里 雅樹はビニール傘を差す。降ってきた雨と風は強く、差していた安物のビニール傘は面積が狭いことで、雨が横風で流れてきて、傘を差していても頭以外は濡れてしまう。これ差す意味あるのか？　と疑問に思いながらも雅樹は帰路を辿っていく。

　雅樹が曲がり角を曲がろうとする、刹那。強い突風が雅樹を襲い、手にしていたビニール傘が瞬時に飛ばされ、近くの電信柱にぶつかり引っ掛かる。雅樹は雨に濡れながらため息を吐いた。そのため息は傘が飛ばされてしまったからではなく、雨に濡れてしまったからでもなかった。視線を送った先で、大イタチと戦う女子の姿を見たからだった。

　雅樹にとって、幼馴染で、元カノで、今は腐れ縁──だった。椎井 莉鳥だ。だったと言うのは、今は昔のように軽口を言い合うことが出来なくなっていたからだった。あの日の出来事から、なんとなくお互いを避けてしまっている。縁は、切れてしまったのかもしれない。そう思っていた。

　その莉鳥が、ずぶ濡れになりながら大イタチ達と立ち回りをしている。だからなんだ、と雅樹はくるりと背を向け、飛ばされたビニール傘を拾いに歩く。ビニール傘を拾った瞬間。背後で大きな音がした。雅樹が振り返ると、風に飛ばされ、壁に叩きつけられる莉鳥の姿が見えた。莉鳥の表情は無表情のまま変わらないようにも見えるが、雅樹には、彼女が苦しんでいる表情に見えていた。瞬間、雅樹は走り出していた。

　雅樹は大雨の中を走りながら、ビニール傘をなんとか畳ませ、空いた片手で、上着の内ポケットから伊達メガネを取り出し、装着する。瞬間、雅樹のろっこん、精密視力（マイクロ・アイズ）が発動する。精密視力には、物体を見る際、顕微鏡レベルでの視力を発揮することができる効力を持つ。

　雅樹は、莉鳥を壁際に追い詰めていた二匹の大イタチ達が、大腕を揺らした瞬間、大イタチが操っていた風が動き出すのを見逃さなかった。風の凪がれる方向。質量、勢い。雅樹は理数系が得意なこともあって、突風が移動する大体の軌道を計算し、読むことが出来た。

「椎井！　左下に向かってしゃがめ！」
　突然聞こえた、聞き覚えのよくある声。莉鳥は戸惑うよりも早く、背にしていた壁から離れ、転がるように左下へと身を屈める。刹那、莉鳥の右頬すれすれを、突風を纏った大イタチが突き抜け、壁に強くぶち当たり、壁に大きな抉り跡を残していく。外した、と思った大イタチ達が、ぶつかり合ってしまいふらふらとしながら、屈んでいる莉鳥へと近付こうとする。

　刹那、横合いから飛び出した雅樹が、大イタチへと畳んだ傘の先で鋭い突きを放ち、大イタチの胸に突き当て、仰向けに倒れ込ませる。雅樹はその勢いのままに、もう一匹の大イタチへと傘を回しながら振り下ろし、大イタチの顔に殴りかかり傘をぶち当て、もう一匹の大イタチを怯ませ後退させた。

「椎井、大丈夫か！」
　大イタチが退るのを見ると、雅樹は振り返り、屈んでいる莉鳥に近寄り容態を確認する。その瞬間、雅樹は息を呑んだ。彼女。莉鳥の表情は無表情だが、とてつもなく機嫌が悪い事に気が付いたからだ。

　悪かった莉鳥の機嫌を、更に悪くしていたのは、目の前の雅樹のせいに他ならなかった。

　北里 雅樹──幼馴染で元カレで、莉鳥の身体の初めてを奪った奴で、腐れ縁……。その複雑な関係も、もうすぐ控えている雅樹の卒業とともに終わるのだが──あんなことしておいて……よりによって……！

「何助けた気になってるのよ。あんなこと言っておいて……鬱陶しいんじゃなかったの？」
「うっ……俺だってわけ分かんないんだよ！　お前が襲われてるの見たら……気が付いたら走ってたんだ……」

　戸惑いながら、バツが悪そうに視線を逸らす雅樹を見て、莉鳥はそれ以上強く当たることが出来なかった。傷付けられたのはこっちなのに、どうしてそんな顔してるのよ！　莉鳥は内心はらわたが煮えくり返っていた。けれど、こうなると分かっていただろうに、雅樹は助けに来てくれた。そう思うと、ぐつぐつと煮える怒りを莉鳥は飲み込み、抑えていた。

　そして気まづさに耐えかね顔を背けあってしまう二人。しかし距離を離さない辺り、嫌い合っている訳ではないのかもしれない。

「いたたっ、な〜に邪魔しちゃってくれてんのかなぁ？！　もう少しでぼっこぼこにしてあげられる所だったのに！」
「あつつ、颯爽と邪魔してくれちゃってね。きゃーすてき！　なんて思ってられるのも今の内だよ！」

　はぁ？　ぼっこぼこにさせるわけ無いだろ？　すてき？　誰がそんなこと思ってるって？　二人の目付きが変わった。理由は違えど、ここに大イタチを攻撃する意志が固まったようだ。無言で睨みつける二人の眼を見れば、大イタチ達はギクリと緊張し、身構える。

　莉鳥が目を瞑り、怒りを堪える様に拳を強く握り締める。そして拳を開かせた瞬間、指先に強力な電流が発生し、降り注ぐ雪に当たり、バチリと電流が走り、雪を弾き消した。

「右斜め前に屈みながら走れ。右手を右斜め後ろ、上に掲げて……」
「！　また電気が来るよ！　撃たせないように狙うんだ！」
「分かった！　それならオイラはこっちから回り込みだ！」
「放て！」

　大イタチが動こうとし始める。それを見た雅樹は、大イタチが口を開くよりも早く莉鳥に指示を送る。それを聞いた莉鳥は無言で屈みながら走り出す。

　刹那、正面で大イタチが大きな右腕を薙ぎ払わせ、発生させた強風が、莉鳥の頭上と左側を通り抜けて行った。風圧にバランスを崩しながらも莉鳥は、左手を地に付けバランスを取らせ、右手を後方斜め上に掲げ静止させる。バランスを崩す莉鳥を見やりながら、空中に飛び上がっていたもう一匹の大イタチが、体を捻らせ大腕を振り下ろそうとしていた。その瞬間を見据えていた雅樹が、声を上げる。

「ふぎゃあああ゛あ゛ばばばばばばばばばばば！！」
　刹那、莉鳥は掲げた指先から強力な電流を放たせ、攻撃を行おうとしていた大イタチに電撃を浴びせた。身体中に走らせた電撃により、大イタチの体制を空中で崩させ、地面へ落下させ転倒させた。

　この動きはたった数秒の間の動きだった。それを行った雅樹と莉鳥は、言葉をまるで交わしていないのにも関わらず役割を分担し、的確な意思疎通を図り、無傷のままに強力な攻撃を命中させていた。これが長い腐れ縁が深め合った互いの理解だった。しかしここまで行動の理解をしているのにも関わらず、心の理解はしあっていないのか、上手く連携を取れたのにも関わらず、お互い見向きもせず、むすっとし合っていた。

「なんで避けられるんだよぉ！？　もうこうなったら……当たるか分かんないけど数撃ちゃ当たれー！」
「？　……！！　椎井！　電柱まで走れ！」
「は？　いッ！？」
　仲間を痺れさせられ、追い詰められた大イタチが、天を仰ぎ見ながら叫びを上げる。瞬間、眩い程の稲光が辺りを包み、次々に雷が発生し地に落ち電流を流していく。初めに発生した落雷は、莉鳥のすぐ近くに飛来し、地面を焦がしていた。それを見た莉鳥は無表情に喉を鳴らし、即座に電柱まで走り出そうとする。しかし次々と目の前で雷が落ち続ければ、莉鳥は立ちすくみ、その場から走り出せなくなってしまう。

「椎井！　こっちだ！　っ！　危ない！」
「っ！」
　その時雅樹が莉鳥の手を引いた。莉鳥が振り返ると、視界の先で険しい表情をし、天を見つめる雅樹の姿が映る。そして、雅樹が莉鳥へ振り返った瞬間。雅樹は莉鳥を身体に抱き寄せる。刹那、莉鳥が少し前に居た場所へと雷が落ち、落ちていたビニール傘を一瞬にして焼き焦がした。呆気にとられている莉鳥の肩を抱えたまま、雅樹は電柱へと辿り着き、身体に張り付いた雨に交じる、冷や汗を拭い一息を吐かせた。

「……嫌だろうけど、もう少しじっとしててくれ。ここが一番安全なんだ……」
　雅樹はなるべく電柱から離れないように、莉鳥を抱き寄せている。莉鳥はというと、雅樹の腕の中で心境雷の如しとなっていた。大荒れ大波乱状態であり、触るな近い！　と跳ね除けたくなる気持ちから、守ってくれてありがとう……。という気持ちまで、一斉に思いが溢れていて、どんな表情をして良いのか分からなかった。恐らく長年の付き合いの雅樹が表情を読もうとしても、読めなかったことだろう。そんな状況下で暫くの時間が過ぎた。


「ぜぇ……ぜぇ……これだけ落とせば……って全然当たってないの？！　なんでだよー！　どーすればぼっこぼこにできるんだよー！」

　疲弊した大イタチが無傷な二人を見て激昂する。その様子は、もう打つ手の無いことを自白していた。

「……散々な目に合わせてくれたわね……。もう二度と暴れられなくしてやるわ」
「ひ、ひぃぃいいいいっっっ！！」
　表情に影を落とした莉鳥が、バチリッ、バチバチッ、と音を鳴らし、指先に帯電させた電流をうねらせる。歩み近付く莉鳥に大イタチは怯えきり、悲鳴を上げる。その悲鳴が無くなるまで、電流の音が消えることは無かった。その光景を見ていた雅樹は、嘗て無い程にドン引きしていた。

　大イタチが完全に目を回し気絶すると、莉鳥は崩れ落ちてしまった。長時間雨と雪にさらされ動き回っていたため、熱を出してしまっていた。慌てて雅樹は莉鳥を支えて家まで送っていった。

　その後、莉鳥は数日間学校を休んだ。それを知った雅樹はなんとなく心配で、見舞いに行こうか、等思いが過るが、どんな顔をして行けばいいんだ、と思い留まり、やはり心配でまた悩む、といったことを繰り返していた。

　莉鳥はと言うと、熱にうなされている間、雅樹の姿が浮かび上がってしまい、また熱が上がってしまうという悪循環に陥っていた。どうしてあいつは別れた後なのに、もう会わなくなると言うのに、私を苦しめるんだ。

「……ばか……やろう……」
　溢れる想いを口にした。とてもか細く、切なさそうに。