8 years after ～8年後の世界～｜リアクション

8 years after ～8年後の世界～

☆引退試合

(思えばよく頑張ってきたものね）
　会場へ向かう車の中で、篠原翠響は思った。
　この年に23歳になる翠響は、日本の新体操界を代表するトップ選手になっていた。
　国内だけでなく、海外の大会でも優勝や上位入賞。
　オリンピックでも金メダルを獲得し、世界の注目の的となった。
　かわいらしいだけでなく大人の女性として成長した翠響は、技術だけでなく美しさにも注目されコマーシャルのオファーも絶えなかった。
　しかし、新体操の選手のピークは20歳前半。
　身体表現の美を極限まで追求するこの競技は、他のアスリートがこなす以上のハードなトレーニングと精神力が要求される。
　静的な筋肉と動的な筋肉を絶えず使うため体づくりが欠かせない。
　同じ位置でジャンプした後、続いて指先で感情を表現するには、強力な体力と柔軟性が必要だ。
　そうしたことから、新体操の選手は22、3歳が『引退適齢期』となる。
　日本中を熱狂させた翠響もその例外ではなかった。
（それも、今日で最後）
　車を降りた翠響は控室へ向かった。

　今日はついに新体操選手としての引退試合。
　いつものように控室で精神集中する翠響は心を空にする。
　目を閉じ、自分が演じるべき演技を脳内で再生する。
　大人っぽい衣装を着たこともあるが、今日は原点に返るべく妖精のような衣装に決めた。
　しばらくして、出番が来たとコーチに告げられた。
　控室を後にして、会場へ向かう。
　これが最後、という感慨をあえて意識しないようにする。
　肩に力が入ってもいいことはない。それよりいつも通りの演技をしたい。

　順番が来て翠響が立ち上がると、歓声が上がった。
　ファンや家族が応援幕を広げているのが見える。
　音楽が流れる。
　翠響が長年にわたって演技の際にかけてきた曲。
　その調べに乗って、ロープ、フープ、ボール、クラブ、リボン……と順当に演技を披露する。
　彼女が身に纏う衣装も相俟って、可憐な妖精の舞を見ているような印象を抱かせる。

　演技を終えたとき、翠響の頬を涙が一筋つたった。
（……えっ？）
　なぜ泣いているのかわからなくて、自分でも驚いたけれど。
　涙をぬぐうことなく、翠響は笑顔になった。
　割れんばかりの歓声と拍手。
　翠響は観客席に深々と礼をし、手を振った。
　