雪に願いを。／This bird has flown｜リアクション

雪に願いを。／This bird has flown

　なんだこりゃ！
　よくもこれだけ降ったものだ。
　雪のうえに雪さらに雪、雪雪雪でこりゃたまらん。国境の長いトンネルを抜けずとも午後休の短い学校から出たらもうそこは。
　雪国。
　親どころか一族郎党の仇のように降る雪に、バスも動かず立ち往生する同級生たち。ご苦労さんと言いたい気持ち。
　だって吉住志桜里はそういうのとは無縁、公共交通機関の縛りなんてどこへやらのお茶の子さいさい。バスでも自転車でも当然徒歩でもない、立派すぎるくらいの足（アシ）があるから。
　つまりバイクだ。最近原付からステップアップしたのだ。
　やはり原付とバイクは違う。圧倒的に違う。原付がよちよち歩きとすればバイクはオリンピック代表級、骨まで届くエンジンの震動、カーブのときにかかる遠心力、風切って走ればどこへでもいけそうなフットワーク、一度乗ったらもうやめられない。
　合法であれば通学手段を制限しない寝子島高校の方針に感謝。それはそうと非合法な通学手段ってなんじゃ。ま、いいか。

　お先に、と口には出さねど歩き方でそう周囲に告げ、志桜里は颯爽と駐輪場に降り立った。
　ここで油断大敵。注意一秒ケガ一生とはよく言ったものだ。
　漫画みたいに『つるっ』なんて擬音は出なかった。
　でも漫画みたく豪快に足を滑らせた。
　トラップは排水溝の蓋だった。すっかり忘れていた。道は凍っていなくても、鉄の上は濡れているものである。
　この一部始終が録画されていたとしたら、スロー再生はさぞや芸術展の高いものになっていたことだろう。志桜里の長い髪がさあっと扇状に舞って、これまた長い右足がサマーソルトキックみたいに弧を描いて。そして着地点を踏み割るほどの尻餅。査定A＋＋（プラプラ）の大転倒だ。お疲れ様。ご愁傷様。
　いったーい！　なんて声は出さない。
　でも心の中で叫んでおいた。
　畜生馬鹿野郎。
　自然、視線が集まったが、
「……見世物ではなくってよ」
　ぐるり志桜里が睨（ね）め回すと、周囲の寝子高生たちはそろって顔を明後日の方向に向けた。といってもこの痛快なまでの悪目立ちに、招かざるギャラリーが集まるのは時間の問題だろう。
　骨盤と心にダメージが残っているが、ここはさっさと退場が得策、志桜里はバイクにまたがると、雷のごとく乱暴に吹かしてアクセルターン、そして疾風のように飛び出してゆく。暖機がわりにおまけのコールも、鋭く切って残していった。
　耳つんざく爆音だが大いに結構、『反抗者』の名をいただくこのバイクには、これぐらいが似合いというもの。
　ああまったく。
　雪がこれだけ降るということはそれだけ寒いということだ。さっそくカッターナイフで切りつけられるような冷気がしみた。まあこれがバイクの醍醐味ではあるのだが。
　醍醐味といえば――志桜里は身をかがめた。
「ほーら」
　バス停で立ち尽くす人々の前を、稲妻のように流していく。
　風が立つ。雪交じりだから突風の吹雪だ。冷たかろう痛かろう。
　ま、憂さ晴らしというやつだ。身を切る冷気をおすそわけ。愛騎を見せびらかすという意味もある。そのまま路線をトレースするように、涼しい顔でクルーズしてゆく。
　駆け抜ける志桜里のバイクを指し、興奮げに語り合っている男子中高生らしきグループもいた。
「すげえ」
「カッコいい」
　そんな言葉を交わしていることは想像が付く。よかろう。憧れたまえ、大いに。
　大通りに出ても行く先は大渋滞。バスはもちろんタクシーも自家用車も、ゴミ収集車や現金輸送車までも、一様に途方に暮れている。まるで自分以外の時間が停止した世界だ。動けるとして秒速数センチといったところがせいぜいか。
　どれどれ、みなさんの具合を見ていくとしましょうか。
　エンジンが気持ちのいい声で鳴いた。志桜里は車両の合間を縫ったり、接触すれすれの位置を走行したりする。
　危険走行？　まさか。この程度でどうにかなる志桜里ではない。
　とはいえ停止状態の各車にとっては、それなりに苛立つ走行かもしれない。
　フルフェイスのヘルメットなんでどうせ顔なんてわからない。だから思ったままのことをしでかす自由を満喫させてもらうとしよう。
　ケツ持ちの勘定だけしていれば十分なんですよ、こんなもの……！