雪に願いを。／This bird has flown｜リアクション

雪に願いを。／This bird has flown

　雪の勢いが落ちるのを待って店を出た。
　単なる小休止だったらしい、勢いが落ちたのは一時的なものにすぎなかった。間もなくまた白いものが降りはじめたのである。
　今度は雪だけじゃない、強い風まで加わっている。吹雪だ。
「少し急ごうか」
　背を並べて歩く。
　このとき修とあおいは車道沿いの歩道を歩いていた。
　車道側が修だ。なので彼が先に気付いた。
　まるで汽笛、タイヤが横滑りする甲高い音が先。
　見えたのは灰色のミニバンが、やや斜めになって突っ込んでくるところだった。
　寝子島水道局らしきロゴが車体前面に描かれているのが見えた。
　とっさにあおいの身を背でかばい同時に、修は路肩縁石と側溝蓋に意識を向けた。強く。
　このすべてが一秒か二秒のうちに起こった。
　もう一度やれと言われてもできるかどうか。
　修のろっこん『分解』は、対象物に集中を向けなければならない。この刹那しかも不意打ちの状態で万全の集中力を発揮するのはあまりに困難だろう。
　しかし修はやりきった。またたく間に道路の端が陥没し、ミニバンの車輪はここにはまりこんだのである。ミニバンは急停止した。
　その場には自分たちのほか、赤い髪をした女性がいた。驚きのあまり女性は座り込んでいる。表情を含め凍りついてしまったかのようだ。
　間一髪助かったか。
　いや。
　――車体が横転する可能性がある！
　次の瞬間修は、女性の手首をつかみ力の限り引き寄せていた。
　修と女性の体が浮き上がった。
　米俵でも担ぐようにして、あおいが左右の腕で彼らを軽々と持ち上げていたのだ。
　そうだった。
　修は思う。
　あおいにもろっこんがあった。この金剛力が。
　二メートルも離れただろうか。
　気が遠くなような大きな音。金属的な。
　予想たがわずミニバンが横転したのだった。
　飛び散ったガラス片が宝石のように雪色を反射する。

　パトカーそれに救急車が到達するまで、短い会話を交わした。
「あ……ありがとうございました……」
　自分の経験したことがまだ信じられないのだろう、若い女性――寝子島中学の教師で今道芽衣子と名乗った――は魂の抜けたような表情である。まだ立ち上がることができず縁石に座り込んでいる。
　無理もない。修は思った。こちらも似たようなものだ。
　ほとんど奇跡的なタイミングだった。自画自賛っぽくなってしまうが、あの状況でよくやれたと言いたい。自分も、あおいも。
「運転手さんも大丈夫、たいしたケガはしてないみたい」
　ミニバンの様子を見に行っていたあおいが戻ってくる。
「もうじき警察が来ます。それに救急車も。ケガはないようですが、念のため」
「……事情聴取とか現場検証、とか？」
　それは困ると言うや芽衣子は急に、膝にバネでも入っているかのように立ち上がった。
「今日私、行かなければならない場所が。生徒の家庭訪問……！」
「それはさすがに中止にしたほうがいいでしょう。非常時ですし」
「生徒さんも連絡を入れればわかってくれますよ」
　修とあおいが口々に止めるも、芽衣子はかたくなだった。
「それは違うの。今日という今日は絶対に行かなくっちゃ！」
「ですが……！」
　押し問答になりかけたところで救急車が到着した。
　
　事故は単なるスリップによるもので、道路の陥没は偶然の幸運として片付けられた。死傷者もなく、新聞記事にもならないような小さな事故だった。
　そしてこの日、やはり芽衣子は家庭訪問に行くことはできなかった。

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