COLORFUL CHRONICLE｜リアクション

COLORFUL CHRONICLE

●藍、傷、ロザリオ

　夢などみない眠りのはずだった。
　それなのにあたし――朝鳥さゆるは、鈍く虹色を映す靄の中に佇んでいた。
　こめかみを擦り、直前までの記憶を辿る。
　いまは何処にいるかもわからない彼──片篠藍人の隠れ家だったワンルームマンションに戻り、電気もつけずにベットに倒れ込んだ。横目でベットサイドの時計を見たのを覚えている。深夜の２時。
　そのあと目を閉じたはずだ。心地のよい眠りに落ちる感覚があった。誰かの腕の中で快楽に溺れた末でもなく、睡眠薬にも頼ることもない、純粋な眠りに落ちる感覚。こんなことは久しくなかった、と自分でも満足を覚えたのを記憶している。
　なのにあたしは今、奇妙な靄の中で覚醒している。
「夢？　それにしてはリアルね……まあ、どちらでも構わないけれど」
　何かが頼りなくふらつきながら近寄ってくる。
　それは藍色の風船だった。
　言いようもなく惹かれて、あたしはその風船に手を伸ばした。
　触れた途端に、風船が内側からスパークし、鍵に結わえられたロザリオの飾りが映し出される。
「……っ」
　胸の奥から全身に、ドライアイスの塊で凍傷を負ったような疼痛がじわりと広がった。
　思わず強く瞼を閉じて、自分自身をかき抱く。
　
　――思い出したのは３年前の誕生日のこと。
　あたしが１４歳になった日のこと。
　世界という海に藍色のインクを垂らして溶かし込んでしまったような、美しく重苦しい夜だった。
　あの夜あたしは、何日も会えずにいた藍人との久しぶりの逢瀬に、胸を高鳴らせていた。
　……高鳴らせる、というと淡い恋心を抱いて相手との逢瀬をただ嬉しく思っていたようにも聞こえるけれど、あたしと藍人との間にあったものは少し違うかもしれない。相手を愛したいという思いと、相手を滅ぼしたいという思いが二匹の蛇のように絡み合い、心臓を締めあげているかのような高鳴り。
　あの夜も闇の中でもがくようにして互いを貪りあうように傷つけあって愛しあい、そのまま深い眠りに落ちた。彼との関係はいつもそうだった。あたしが目が覚めたときにはいつも彼はいない。
　だから翌朝、自分の隣に彼がいないことにも、はじめはなんの感慨も抱かなかった。
　枕元にきちんと包装された小箱を見つけるまでは。
　あたしは訝しく思いながら包みを開けた。
　中にあったのは、銀のロザリオの飾りのついたこの部屋の鍵。
　――結局、これが彼からの唯一のプレゼントになった。

「……っは、……ふ、はぁ……」

　瞼を開き、忘れていた呼吸を取り戻すかのように乱れた息を吐く。
　あたしは思わず駆け出す。
　こんな靄のなか、行くあてなんてどこにもないのに、そうせずにはいられなくて。
　あたしの走る速度に合わせて、様々な色の風船が浮かび上がってくる。
　しかしそのどれも色は昏く、黒や、青や、紫や、赤色をしている。
　ダーク、ダーク、ダーク、ダーク。
　あたしは自嘲する。
　いかにもあたしにふさわしい。
　血のような赤色の風船に映っているのは、彼に殺されかけたときのこと。
　夜の闇のような紫色の風船に映っているのは、彼を逆に殺そうとしたときのこと。
「は……はは、ははは……」
　思わず漏れた笑い声に応えるように、どこからか声がする。

　――『さゆる』

「藍人！？」
　立ち止まりあたりを見回す。
　けれど、視界に映るのは、鈍い色した靄と、昏い色した風船の群ればかり。
『……さゆる……さゆる』
　彼の声は名を呼ぶばかり。
　あたしは堪らなくなって叫ぶ。
「言いたいことがあるならはっきり言って。殺したいなら殺していい。あたしの首を絞めていい。鋭い刃で切り刻んでもいい。だから、……ここに来て。姿を見せて。もっと、何か言って……！」

『……さゆる。……………………』

　聞こえない。名を呼んだあと、何と言っているのか、聞こえない。
　聞きたいのに。
　あなたの声を、もっと、もっと、聞きたいのに。

　――頬が濡れて冷たかった。
　夜はまだ明けていない。
　あたしはベットに横たわっている。
「……現実に戻った……」
　あたしはひとりだ。
　あたしの隣に寝ている人は、いない。
「そう、よね……」
　胸に下げたロザリオを握りしめる。尖った先端があたしの手のひらにきつく食い込む。
　痛みを感じ、さらに強く握る。
　もっと、もっと――痛みを、感じたい。

「ねえ、あたしたちって結局……こんな風にしか愛せなかった……それでも、あたしは……藍人が好きよ……」

　あたしは泣いた。
　どこか遠くで稲妻の音がする。
　朝はまだ来ない。

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