雨は嘘を水に流さない｜リアクション

雨は嘘を水に流さない

　氷の冷たさで雨が降る。雪になれない雨がアスファルトの地面を黒く濡らしてゆく。
「冷えるね」
「寒いよね」
　並んで歩きながら、話すともなく話しながら、タルトは傘の下から油断なく周囲を見回す。自分たちが今いる場所を確かめる。
(ただの怪異なら表に出てこれなさそうだけど)
　栗色の瞳を人気の無い周囲に巡らせるついで、思考も巡らせる。
(ろっこんが絡んでいるのかな？)
　ネット上では既に少なからず騒ぎになっている。『赤い鬼』がこれ以上暴れるようであれば、フツウが壊れてしまいかねない。そうなる前に、
(テオが世界を切り分けてくれるといいんだけど)
　そうすれば、どれだけ『赤い鬼』が暴れてもフツウは壊されないはず。それに、そうすればこちらが『赤い鬼』を見つけ出すことも容易くなる──
(と、思ったんだけどね)
　誰もいない路地のその先。
　少し行けば寝子島街道を経てシーサイドタウン駅に出る道の半ば。
　銀色の雨に血色のドレスを濡らし、赤い髪の女が立っていた。
　道を塞ぐかたちで立つ女と対峙し、ふたりは小さく深呼吸をする。
　女は、美しかった。髪も、容貌も、艶めかしいほどの肢体も。その癖、恐怖にも似た歪を感じさせた。
　胸の内にざわめく心臓の鼓動を抑え込み、タルトは女から視線を逸らす。
『赤い鬼と目を合わせてはいけない』
『名を知られてはいけない』
『全てを奪われてしまう』
　頭に叩き込んで来たインターネット掲示板の情報が警告音となって脳裏に響き渡っている。　
　無言のまま、真白の肘を引く。まずは人のいるところに誘導したかった。
(名前取られるのは嫌だし、僕の分身なんて倒したくないからね)
　人がたくさん居るところに行けば、鬼の分身を際限なく作り出してしまう可能性もあるけれど、逆に鬼は奪うものの多さに惑うかもしれない。隙が出来るかもしれない──
　真白の肘を引き、タルトが駆けだそうとしたとき、
「何故こんなことをしてるの？」
　真白が小柄な身体とも思えぬ力でその場に踏みとどまった。白い睫毛に縁どられた大きな瞳を凛ともたげ、『赤い鬼』へまっすぐに問いかける。
　女は──『赤い鬼』は、ただ笑った。
　唇が完璧な曲線を描く。人を惹きつける嫣然たる笑みに真白は瞬く。己の問いに鬼が応じるとは思わなかったが、問うておきたかった。とにかくも、理由が知りたかった。
　女が一歩を踏み出した、その瞬間。
「ッ……！」
　タルトが制服のポケットから手鏡を取り出し女へ突きつけた。
(鬼が目で精神操作をするなら)
　鏡を使えばその力は当人に跳ね返るかもしれない。
　突きつけられた鏡面を女は凝視し、そうして、くすりと笑った。おもむろに手を伸ばし、タルトがかざした手鏡を無造作に取り上げる。目を丸くするタルトには目もくれず、鏡の中の己に見惚れる。
「私、」
　甘い声で囁く。
「私、綺麗よね？　可愛いよね？」
　自分自身に言い聞かせるように、鏡の中の自分に囁きかける。
「だってたくさん努力したもの。たくさんたくさん。だって綺麗でなくちゃ、可愛くなくちゃ、愛してもらえないのよ」
　己を誇るように笑う。その次の瞬間には眉間に深い皺を刻む。
「ねえ、」
　苦悶の表情で、懇願の態で、目前のふたりに告げる。
「愛してあげるから、愛してよ」

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