……アンド・ユア・バード・キャン・シング｜リアクション

……アンド・ユア・バード・キャン・シング

　外はもう真っ暗だ。
　オフィスも灯が消えており、自分の周囲を除けばやはり真っ暗である。
　電話機や時計だけ、蛍のようにうすぼんやりと光っている。
　こんなの、とキーボードを叩きながら朝衣は思う。
　末端の一職員がやっていいことかな。
　PCの時計を見ると、もう帰宅を試みるよりここで徹夜した方が楽なくらいだと気付く。自宅の両親や弟は、もうとっくに寝ていることだろう。
「……まあいいか」
　ぽつりと独り言する。
　いいと思っているから、私はやっているんだ。
　法律や条例については存分に精査した。
　警察や医療機関にも話をつけよう。そのために資料を作っているのだ。
　風穴をあけてやる。この不正に。
　この作業を朝衣は、ただでさえ忙殺されるくらい忙しい年末業務をきちんと果たしたうえで、誰にも話さず自主的にやっている。当然、残業代は出ない。もともと減り気味の休息時間をガリガリと削って死ぬ思いでやっている。
　でも後悔はしていない。
　ディスプレイを凝視しすぎて疲れた目を休めるべく、眉間を揉んでいたとき、ふっと唐突に朝衣の意識は過去に飛んだ。
　寝子島高校一年生、冬休みのときの記憶だ。
　きっかけは、校内で見た募集ポスターだった。
　ボランティア活動、朝衣は福祉施設の手伝いを志願したのだった。
　当時、福祉にとりたてて強い興味があったわけではない。ストレートに言えば、ただなんとなく応募したにすぎない。
　でもその『なんとなく』の選択が、朝衣に与えた印象は強烈だった。
　これが福祉の現場か、と目を見張ったことをよく覚えている。
　障がい者の自立支援施設だった。比較的軽度の人もいたが、重度の人とは意思をとりかわすことも困難だった。
　しかも現場は、ギリギリ最低限の予算と人数で回っていたのである。
　けれどもそこで働く職員たちは、みなとても立派だった。支援が必要な人たちに根気よく、しかも穏やかな心で接していた。『助けてあげている』という傲慢な態度を見せる人は誰もおらず、それどころかむしろ施設利用者から、生きる姿勢や強さを積極的に学ぼうとしていた。「生まれた価値のない人間なんていない」、ある職員がそう語っていた。「何も生み出せない人間もいない」とも。
　陳腐な表現かもしれないが、まちがいなく朝衣は心が動いたものだ。
　数日程度の経験だったが、彼女が公務員を志望したのはそれがきっかけだった。全体への奉仕者でありたい――その気持ちは、福祉課や住民課ではなく総務課に配属された現在でも変わらない。
　それにしても肩が凝った。拳で頚筋をごんごんとやりながら朝衣は大きなあくびをもらす。
「これで役所クビになったら……ハワイかフィリピンに留学しようかな？　それとも……遥人のお嫁さんになろうかな？」
　それはそれで悪くないかもしれない。
　さて、あともうひとがんばりだ。