センテンスの魔法｜リアクション

センテンスの魔法

　６　

「Shit！　英語の問題文が英語じゃないってどーいうことデース」
　寄宿舎の部屋で、アカリ・ゴールディングは教科書を放り投げた。ずっと外国に住んでいた彼女は日本語を読むのが苦手だ。英語は得意なのに問題が解けないことに理不尽さを感じる。
　不貞腐れて炬燵に潜り込み、アカリはいつの間にか眠ってしまった。

　――…………
　音のない室内で、床の上に落ちている開かれたままの教科書に視線が注がれている。
　誰も居ない部屋には、夕方の陽の光だけが降り注いでいた。

　とんとん、と肩を叩かれ、炬燵に座っていたアカリは振り返った。
「……ママ？」
　そこには、亡くなった筈の母が立っていた。
「死んじゃってるのにどーしたデース！」
　穏やかに笑い、ただそこにいる母に、アカリはギュっとしがみついた。
「ママ、ママッ」
　確かに母の匂いがする。抱くことができる。腕の中に、母の存在が感じられる。優しく、頭を撫でられた。
「ママ……ママ……ママの作った……ううん」
　頭は撫でられ続ける。もしかしたら、母は喋れないのかもしれない。そんな気がした。同時に、母と話せるのは今だけなのだということも察せられた。
　だとすれば、今伝えるべきことは、ママの作ったミンスパイが食べたいとか、そういうことじゃない。
　パパが大変そうだから日本まで着いてきたけど、寄宿舎学校に入った、とか。
　ママがいなくて寂しい、とか。
　日本語が思ったより難しい、とか。
　友達作りが大変だ、とか。
　言いたいことは山のようにあったけれど、言わなければいけないことは違うことだ。
「ママは死んでもずっとアカリのママだから、パパの所は行かないで」
　頭を撫でる手が止まった。母の掌から、戸惑いの感情が伝わってくる。
「ママ、パパに会いに行くのは、パパに新しいパートナーができてからにしてあげて。パパはママだけのパートナーだけど、今ママに会ったら、パパきっと泣いて倒れちゃうから……お願い、ママ。ママはずっとアカリの所には居ていいから」
　放っておくと、父は母が居ないまま、母のことを思ってずっと独りでいるだろう。でも、それでは駄目なのだとアカリは思う。
　人生にはパートナーが必要で。
　パパにも新しいパートナーが必要だ。
　ママが居ない寂しさをパパもアカリも我慢してるから。
　ママもパパに会いたいだろうけど……
　話をしている間に、アカリはいつの間にか眠ってしまっていた。次に目が覚めた時――部屋の中は真っ暗だった。
「…………」
　夢だとは思わなかった。立ち上がって電気を点けると、台所に向かう。
「ママの味には全く及ばないけど……」
　パパにミンスパイを送ろう。

『新しいパートナーができたら祝福するね』

　と書いたカードを添えて。

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