センテンスの魔法｜リアクション

センテンスの魔法

　５

「……はぁ」
　鎌倉の自室にて、白い部分の方が多いノートパソコンの画面の前でマリエッタ・ラシュリエは溜め息を吐いた。木天蓼大学大学院理工学研究科で建築学専攻の彼女は、来年２月に提出の修士論文を執筆していた。だが、溜め息は論文が進まないからではなく、現在遠距離恋愛中の彼氏のことを考えていたからだ。彼はＡＩの研究者で、ボストンにある超名門工科大学に留学している。
（どれだけ話してないだろう……）
　その思いは、憂鬱を通り越した苦しさを伴っていた。頭の中が彼――嶋村直之（ナオ）のことでいっぱいだ。何せ、音信不通になってからもう随分経つのだから。
（少しでも論文を進めないと……）
　キーボードに添えた指に力を込めると、　適当に選んだ文字が画面に現れる。
「…………」
　しばらく眺めた後にその文字を消し、今度はもっと意味のある文章を打ち込んでみる。
「…………」
　１行ほど書いてみたが、何かしっくりせずに全て消してまた溜め息を吐く。もう何回これを繰り返しただろうか。
　ちっとも論文に集中できない。焦燥が募るだけ、ナオへの気持ちも膨らんで混乱する。
（忙しい、んだと思うけど……）
　会わなくなって何ヵ月経っても、彼の顔も、仕草も、声も鮮明に覚えている。それを思い出すと、切なくなる。
　連絡が取れなくなった今、彼が何をしているのかは分からない。けれど、忙しくしているのだろうと確信を持って思える。
　会いたい。
　否、会えなくてもいい。
　ナオの存在を感じたい。
　心の中の水面が、不意に強い風に吹かれてできたさざなみのように揺らめいている。
　何と言ったらいいのか――さざなみが走るたびに、心が痛い。
（そういえばあの手紙、届いたかな）
　以前、彼に手紙を出した。道を歩いていた時に、市のお悩み相談をイベントとして開催していた女性に声をかけられ、話を聞いてもらってアドバイスしてもらったのだ。メールや電話などの電子で連絡を取るのも良いが、手紙には特別な趣がある。気持ちを込めた手紙なら忙しくても読んでもらえるかもしれない、と。
「エアメールで出したけど、やっぱり読んでる暇がないのかな……」
　出したのは随分前だが未だに反応はない。自分自身も修論執筆に追われて忘れていた時もあったが――
　かたん、と、玄関の方で軽い音がした。テレビもＢＧＭもついていない静まり返った部屋に、意外な程に音は響いた。マリエッタは思わず立ち上がり、玄関ポストをチェックする。
「これって……」
　縁が赤白青で彩られた封筒を目にした瞬間、慌てて手に取って封を開ける。文章を流し読みして、最後に書かれた『愛してる』という一言を見て手を震わせる。
　その言葉が、何故か今まで言われた何よりも胸に響いた。物凄い愛しさが込み上げてくる。
「ナオ……私も、ナオのこと……愛してる……」
　手紙をかき抱き、マリエッタはポロポロと涙をこぼした。

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