Another World Story｜リアクション

Another World Story

★終末世界のホーリー・ナイト（八神修）

　リンロン♪　とチャイムの鳴る澄んだ音。
　読んでいた書物からふと顔を上げて、修は少し首を傾けた。
「おかしいな。今日は、ここには誰もこないはずだけど……」
　修は、荒廃した世界の中、唯一秩序を保つ某国の研究者だ。
　部屋着の猫耳パーカーをラフに羽織った姿は、怜悧な印象こそあれ、年相応の青年にしか見えないが、
（予定外の来客なんて、妙だな。この国の、いや、この星の未来は、今や俺の研究にかかっているのに）
　と、そういう使命を、修は帯びているのだった。
　多くの文明が滅ぶ前の世界――旧世界の文献を解読し、近く世界を襲うという危機を退ける。
　それができるのは修だけだと、旧世界の遺産たる国の《脳》が導き出したのが数か月前。
　優秀な研究者として仲間達と切磋琢磨していた修は、今はひとり孤独に、旧世界時代の書物を解読している。
（まさか《脳》が何か新たな危機を予知したのか？　それで、至急の連絡？　緊急事態か？）
　そこまで考えて、修は頭を振った。
　ここ暫く、ろくに食事を取っていないし、まともな睡眠時間も確保できていない。
（今の頭じゃ、正しい結論は導き出すのは難しそうだ。誰だか知らないが、とにかく迎え入れよう）
　修の暮らす建物は、幼い頃から信を置いている男によって、油断なく守られている。
　扉の向こうに誰が、何が待っているのかはわからないが、修が剣呑な目に遭う可能性はないはずだった。
　ガチャリ、鍵を開け、扉を開ける。
　そこに立っていたのは――、
「……あおい？」
　驚きのあまり、声が、少し掠れた。
　来客――七夜あおいが、くすりと笑う。
「修君、久しぶり」
「あ、ああ……」
「もう、何か月ぶりになるのかな？　やっと、《脳》から面会の許可が下りたよ」
　お邪魔しちゃうね、と、修の動揺を置き去りにして、あおいはさくさくと修の家に上がった。
　修は慌てて、あおいの後を追いかける。
「あ、あおい！　待って、何で……」
「１０月、誕生日だったでしょ？　それに、今日が何の日かわかる？」
「今日？　……あ、」
　――旧世界の、クリスマス。
　あおいはその祝いの日をとても気に入り、昨年は、今修が着ている猫耳パーカーをプレゼントしてくれた。
　ふふり、あおいが微笑む。
「ケーキ、作ってきたんだ。《脳》の許可はちゃんと得てるから、一緒に食べよう？」

※

「……どう、かな？」
「うん！　すごく美味しいよ、あおい」
「本当？」

「ああ。こんなに美味しいケーキは、初めて食べる」
　それは、修の嘘偽りのない気持ちだった。
　テーブルの上には、あおいの手作りケーキに、彼女が持参した小さなクリスマスツリー。
　修はお気に入りのティーセットで、本当に久しぶりに、ゆったりと紅茶を淹れた。
（こうやって、ほっと息を吐いたのはいつぶりだろう？）
　そんな修の気持ちを見透かしたみたいに、あおいが、
「修君、目の下、クマできてるよ。無理してるでしょ」
　と、紅茶を喉に流したあとで、言った。
「それは……」
「あのね、修君が今、ものすごく大変な立場だっていうのは、私だってわかってる。でも、」
　あおいの手が、修の頬に伸びる。
　触れた指先が、あたたかく、心地良かった。
「もっと、自分を大切にしてね。大丈夫。修君なら、絶対できるから」
　あおいの言葉に、修は、ただ、こくりと頷いた。
　気持ちが、言葉の形になってくれなかったのだ。
（ああ。俺はこの数か月、本当は辛かったんだな……）
　だけど、今は。
（もう、大丈夫だ。強がりじゃない。慢心でもない。必ず、この星を救ってみせる）
　目の前の少女の、鮮やかな青い瞳。花が綻ぶような笑顔。
　そう定められたからではなく、それらを守るためにこそ、己の意思で全てを救うのだと。
　修は、確かな決意を、改めて胸の底に沈めた。