疲れ切った表情で城山 水樹が部屋に戻ってきた。のろのろと着ていた服を脱いだ。適当な部屋着になると布団に潜り込む。
　横向きになって丸くなると溜息を吐いた。
「……モデルの、仕事も……楽では……」
　数分と経たず、安らかな寝息が部屋を満たしていった。

　最初に人差し指がぴくりと動いた。シーツの質感を確かめるように掌を滑らせた。
　水樹は薄っすらと瞼を開ける。
「……ここは？」
　横向きの姿勢のまま、両手で上体を起こした。
　水樹はベッドの縁に座って眺める。空は緑と茶色が混ざり合い、クリスマスツリーの先端を飾る星が幾つも輝いていた。丸い月は太陽のように明るく、黒い目と口で笑っている。
「夢にしては、リアルなんだけど」
　視線を落とす。大地は原色の赤や紫で覆われ、所々が黒かった。
　水樹は目頭を揉んだあと、大地に無数に転がる包みの一つを摘まんだ。左右の出っ張りを摘まんで引っ張ると中身が現れた。
「黒い飴玉？」
　鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。数秒、見詰めると思い切って口に入れた。
「……チョコ味」
　微笑んで遠くに目を移す。台の上には五段のデコレーションケーキが載っていた。
「あれも本物だったりして」
　口にした途端、苦笑いを浮かべる。
　両手を頭の後ろに組んで伸びをすると、ん？　と声を漏らした。掴んで顔の前に持ってくると、それは黒いとんがり帽子であった。自身の服にも目を向けた。
「黒いワンピース……魔女みたいね」
　とんがり帽子を被り直す。足を組むとベッドが軋んだ。
「んん……え、どうして！？」
　背後の声に水樹の目が丸くなる。被っていた帽子が斜めになる勢いで振り返った。
　ヒュー・ヒューバートが上体を起こす。漆黒のマントを羽織っていた。蝶ネクタイに真紅のベスト。棺から蘇った吸血鬼のようだった。
「おはよう」
　水樹は口にした瞬間、失敗したという顔をした。
「この状況だと『トリック・オア・トリート』の方がよかった？」
「この現状がよくわからないのだが。僕は木天蓼市内のアパートにいて……」
　ふかふかベッドの上で二人は見詰め合う。周囲に人の姿はなかった。
「な、なんか、ヘンなところに来たね！」
「あ、ああ、そうだな。妙な気分だ」
　二人は同時に視線を逸らし、火照ったような顔になった。
　逸早く立ち直ったヒューが、ざっと周囲を見回す。ベッドに近いところにアドベントカレンダーを見つけた。全ての窓が開いていて中には何も入っていなかった。
「あれは……」
「ヒュー、気になる物でもあった？」
「あそこにある、アドベントカレンダーに見覚えがあって……仕事絡みでクリスマス関連の写真を撮った時、試供品として貰った物によく似ている。クリスマスを迎えていないのに窓が全て開いている。この世界から脱出する手掛かりに――」
　難しい顔で思案を巡らす。
　反面、水樹は明るい顔で言った。
「ヒュー、今を楽しもうよ。ここって巨大なアトラクションみたいじゃない。楽しむ為に用意された空間だと思う。飴玉が撒かれ、板チョコやグミがあって。ほら、あそこには大きなデコレーションケーキまであるわ」
「楽しむのは帰り方がわかってからでもいいと思うけど」
　水樹は四つん這いで近づく。不機嫌な顔にヒューは困ったように笑う。
「知らない間に帰る条件を満たしたら？　ヘンな世界ではあるけど、今なら誰にも邪魔されないでデートが楽しめるわ。ヒューは嫌なの？」
「そ、そんなことはない。僕だって水樹と同じで、もっと二人の時間を作りたいと思っているよ」
「じゃあ、決まりね」
　瞬時に明るい顔に変わる。その変わり身の早さにヒューは、わかった、と両手を軽く挙げて返した。
　二人はベッドから下りた。
　水樹は笑って手を差し出す。ヒューは微笑んで指を絡めた。
　行き先は適当に決めた。大地に無数に散らばるお菓子を踏まないようにして歩く。
「極彩色で目に優しくない世界ね」
「スマホがあれば写せるのに」
　ヒューは悔しそうな表情を浮かべた。
「あれ、見てよ。カメラっぽいよ」
　一本足のテーブルに四角い箱が置いてある。よく見ると丸いレンズが付いていた。
「蛇腹が見える。スプリングカメラだ」
　ヒューの声が弾んだ。足を速めてカメラを手に取った。細かい部分を確認していると、上部の蓋が開いて長い物が飛び出してきた。
　ヒューは軽く仰け反った。長い胴体の先にはカボチャの頭があった。底意地の悪い笑顔で揺れている。
「ハロウィン仕様だね」
　水樹はヒューの姿を見て笑う。
「やられたよ」
　苦笑してカメラをテーブルに戻した。
「もっと見て回ろうよ」
「そうだな」
　二人は陽気で不気味な世界でのデートを続けた。
　ヒューは少し用心深くなり、周囲に目を配る。
「あれは、アドベントカレンダーか」
「ベッドの近くにあったのと似ているわ。ヒュー、こっちを見てよ」
　水樹が指差した方向に鉢植えの木が倒れていた。周囲には細々とした物が散乱している。興味を持った二人は足を速めた。
　目にした水樹は首を傾げる。
「モミの木だからクリスマスツリー？　ハロウィンだけじゃないみたいね」
「起こしてみよう」
　ヒューは抱き起すようにして立たせた。綺麗な円錐型のモミの木には何の飾りも付いていなかった。
　水樹は大地に転がる物を摘まんだ。味気ない木の中程に付ける。
「サンタやトナカイがいないと盛り上がらないよね」
「夜空も欲しいな」
　ヒューは小さな星の飾りで夜を演出した。三日月も添えた。配置に満足して横を見ると水樹が布に丸い目と口を開けたような幽霊を飾り付けていた。ステッキやカボチャを散りばめて、リボンで包まれた箱を適当に並べる。
「カオスなツリーだ」
「賑やかで楽しいとも言えるよね。モミの木の先端は」
　水樹は周囲を見回す。
「空にはあるが」
　ヒューは手を伸ばして笑った。
「これでいいわ」
　クリスマスツリーの先端に笑顔のカボチャが載せられた。ロウソクが仕込まれているのか。目の部分が光っていた。
「うん、カオスだ」
　ヒューは出来に納得した。
　二人は足の赴くまま、奇妙な世界を歩いてゆく。
　水樹は噴水を見つけた。
「ヒュー、何かおかしくない？」
「時間が、いや、水がゆっくり流れているのか？」
　二人は揃って近づく。
「水じゃないよ！」
　水樹は溜まっていた水に人差し指を入れた。引き上げると伸びて回すように巻き取る。躊躇なく口に入れたのを見てヒューは少し慌てた。
「甘い。水飴よ、これ」
「まさか、この噴水自体がお菓子なのか？」
　ヒューは噴水の白い縁を掴んだ。指がめり込んで簡単に抉れた。中は黒いスポンジでチョコレートの匂いが漂う。
　少し表情を緩めたヒューは抉り取った一部を齧る。
「ケーキで、上品な甘さだ」
「私も、欲しいな」
　恥ずかしそうな顔で水樹は、そっと口を開ける。ヒューは照れ笑いでケーキを口に運んだ。
「甘くて美味しい」
「それは、良かった」
　二人は甘い雰囲気に包まれた。
「あー、魔女だ！」
「吸血鬼もいるよー」
「トリック・オア・トリートー！」
　カボチャ頭の三人組が二人に向かって走ってきた。背は低く、声も幼い。
　水樹は中腰になった。
「お菓子は持ってないんだけど」
「いっぱい落ちてるよ！」
「全部、お菓子だもーん」
「トリック・オア・トリートー！」
　三人組のカボチャは飛び跳ねる。
　ヒューは近くに落ちていた飴玉やチョコレートを拾い集めた。
「これでいいのかな」
　三人組に差し出すと、わー、と喜びの声を上げた。
「お礼に、あげる！」
「いっぱいあげるよー」
「トリック・オア・トリートー！」
　空から小粒の物が大量に降ってきた。水樹は帽子を深々と被ってしゃがみ込む。
「え、流星群！？　ちょっと、ねえ、何なのよ！」
　三人組のカボチャは答えず、笑い声を上げながら逃げていく。
「水樹、金平糖だよ。とても小さくて軽い」
「なんでお菓子を上げた方が貰うのよ」
「どうしてだろう」
　色とりどりの金平糖に腰まで埋まった二人は共に声を上げて笑った。