＜零神探訪＞ぬばたまの絶対零秘史（ブラック・ヒストリア）｜リアクション

＜零神探訪＞ぬばたまの絶対零秘史（ブラック・ヒストリア）

●寝子島1370～夜、落神神社

　桜月は歩きながら額の汗をぬぐった。
　月光が仄かに照らし出す山道。
　月を守るナイトのように一歩先をゆくのはファラオハウンド犬のユリウス。
　肺に蒸した夜の空気が入り込む。
　懐中電灯の灯りに寄ってくる白い羽虫。
　姦しすぎて無音にすら思える虫たちの声。
　ストッキングはあちこち伝線しているに違いないが、それを見咎める者もない。
　北極の仲間からの通信が途絶えた。
　寝子島に変化はない。
　今のところ、それを発見するに至ってはいない、と言うのが正確なところ。
　夜はいつもの夜だ。蒸し暑い夏の。フツウというにふさわしい夜。
　歩みは止めない。
　落神神社。
　上がる息。
　皆を気にかけ、逸る心と裏腹に、身体はすでに重い。
　鼻から思い切り息を吸い込む。体力の限界が近い。
　――もうすぐ。
　そう言い聞かせ雑草蔓延る夜の山道をひた歩く。
　辿り着いたそこは、風雨と年月に晒された古びた神社。
「いざとなったら……その時は頼むよユリウス」
　ユリウスの首元を撫で、草を踏み、神社に近づいてゆく。
　何かあればろっこんはいつでも発動できるように心構えしつつ、まずは周囲を観察。
　歪んだ屋根。灯らない石灯篭。取り立てて変化はない。

　今より数時間前。
　真偽は定かでないが、寝子島書房の編集者だという人物と会って話をした。
　月が零神や絶神の話をすると、彼は大いに喜んで、出版前のゲラ稿を見せてくれた。
「君の話は面白いからトクベツだよ」と彼は言った。
「あまり知られていないことなんだけれどね、寝子暦零年、鈴島のあたりの海にたくさんの妖が現れて大暴れしたらしい、という口伝があるんだ」
　これは口伝をもとにイラストレーターに描いて貰った想像図。
　そう言って彼が拡げたイラストには、荒れた海。
　狐面で赤い着物の幽霊が両手を天に差し伸べて、まるで嵐を呼んでいるかのように見える。
　天には翼が生えた烏天狗たち。
　木の葉のように波間に揺れる小舟には鬼たちや巨大な壁。
　人魚たちや体が赤く岩のように固く二本の角が生えた海入道。
　海霧。猫又。妖精。それから、この波間の生き物は……、
「カワウソ？」
「そう。海なのに獺の妖怪が出たって。人間ほども大きくて、こう、舟の櫂をポイっとしたらしい」
「櫂をポイっと？」
「変な妖怪だろ？」
「聞いたこともない」
「だからこそ、真実味があると思わないかい？　君の言う零神や絶神に関係する話だったり？」
　いやむしろ！　そう言って、編集者はぐいと身を乗り出す。
「関係あるって書いてもいいかな！？」
　なんとも楽し気な編集者が言う真実味については良く分からなかった。
　書いてもいいんじゃないかな、読者が真に受けるかは知らないけれど、と月は頷く。
『寝子暦零年の大妖怪大戦』
　そんな如何にも胡散臭いタイトルにすると言っていたけれど。
（売れなさそうだ）
　けれど何か気にかかって、彼の話がぐるぐる頭を巡っている。

「皆、無事でいてよ……」
　朽ちた神社の格子窓の隙間から懐中電灯を差し込む。
　埃だらけの床を照らし出す。
　無人。
「誰か」
　月は呼び掛けた。拝んだ。祈った。
「――落神様零神様ええいこの際絶神様！　どうかどうか皆を無事に返しておくれ！」