秋のバレンタインは台風と共に｜リアクション

秋のバレンタインは台風と共に

　パラパラと小雨が顔にかかるなと仰いだ空は思っていたより黒く、早坂恩は駅まで急ぐよう、御薗井Ｅセレッソに声をかける。
　セレッソは白のワンピースで来たことを少し気にしてか、覚束ない足取りで恩を追いかけた。
　いつもの自分なら追いつけるくらいのスピード。けれど、せっかく恩とのおでかけにと選んだ服が、彼の前で泥に汚れるなど嫌だ。
　雨に濡れてしまうのと、どちらがマシか。セレッソの頭の中は、そんなことがぐるぐるとまわっている。
「大丈夫よ、私を信じて」

　おしゃれが好きな恩が、その思いに気づかぬわけではなく――とはいえ、白い服の汚れを気にしているのだろう以上のことに気がついているかは定かではないが、セレッソを安心させるように微笑んで手を差し伸べた。
　まだ雨は、コンクリートに吸い込まれていくほどの小雨だ。もう少しだけ走れば、本降りになる前に駅のアーケードにたどり着くはず。
「ハイ……」
　セレッソはそっと触れるように、ぎこちなく手を重ねる。
　いつもなら、元気に返事だってできるのに。半年ほど前に貰った言葉に返事をしなければと思い出したからか、たったそれだけのことが酷く緊張した。
　今日の誕生日祝いのエスコートをしてくれる恩は、とてもスマートだった。
　思い返しても嬉しいと楽しいで気持ちが占められて、ひょっこり顔をだすような緊張も優しく宥めてくれて。……一人浮かれてしまって楽しんで、こんなタイミングで大事なことを思い出すのだから、セレッソはいくつのタイミングを逃してしまっただろうと後悔した。
　もうすぐ、この二人きりの時間は終わってしまう。今日を逃せば、ずるずると再び返事を先送りにしてしまうだろう。
（何も言えないまま、もう半年も経ってしまったワ。センパイの中で、特別が変わっていたら――）
　こわい。
　あの時、知らない恩の一面をみたような気がしたことより、ずっと怖い。
　変わってしまうことを恐れて何も言えなかった自分とは、今日でお別れにしなければ。セレッソは少しだけ、重ねた手に力を入れた。

（映画を……見終わってしまった……）
　一方で、平和なお部屋デートであるはずのヒューと水樹だが。
　ヒューはプレゼントを渡すための策が何も浮かばぬまま、映画のエンディングを迎えてしまっていた。
　水樹はと言えば、じっと隣に座っていてもわかるくらいには、ヒューの異変に気づいていた。
（お互い春生まれだし、誕生日のサプライズ……ではなさそうだし）
　付き合った記念日にも、まだ少し早い。かといって、良からぬことを企んでいるというより、緊張しているといった言葉がぴったりだ。
　では何が、こんなにもヒューを挙動不審にさせるのか。ふと時間を確認するために見たスマホに表示された日付を見て、心当たりが一つ。
（もしかして、メンズバレンタインデー？）
　だとすれば、ヒューから下着を贈られるということになる。
　下着を見せるどころか、何度も身体を重ねあっている仲なのだから、そこまで緊張することもないのにと思う気持ちが半分。改めて、どんな下着が似合うのかと、彼の手によってコーディネートされることが恥ずかしいと思う気持ちも半分。
（ああでも、ヒューに見せる時ってどんな下着つけてたっけ？　セクシーなのばっかりじゃなかったかな）
　もっと清楚なのを着てほしいと思ってる？　それともファンシーな物？　水樹の頭の中は、自身の持っている下着の中で、どれがヒューの好みに近かったのかとファッションショーの最中だ。
　どんな自分を見せたいか、ではなく、どんな自分を望まれているのかが、否が応でも伝わるプレゼント。渡される方も、緊張するなと言うほうが無理だ。
（ヒューの好みの下着かぁ……）
　仕事の延長のように、モデルとして着こなすことはできると自信を持って言える。ただ彼女として、彼の好みに着こなせるかといえば、話は少し変わってきてしまう。
　赤くなったり青くなったりする水樹の様子に、具合でも悪いのかと問いかけたヒューと目が合う。それだけのことなのに、下着のプレゼントについて考えていることもあって、二人揃って赤くなってしまう。
「ど、どうかした……？」
　視線に耐えきれず、先に逸してしまった水樹は、その一言を絞り出すのが精一杯だった。
　もうすでに、映画はスタッフロールも終わり、テレビはチャプター選択画面を映しているし、マグカップも空いてしまっている。おかしいところはいっぱいあるのだけれど、それらは全て些細なことで。
「水樹に、渡したい物があるんだ」

　ガタガタと、窓を叩く音が強くなる。
　――今夜は、嵐に包まれるのかもしれない。

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秋のバレンタインは台風と共に

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