人魚のような衣装のパレオを潮風に翻す。左サイドテールに結い上げた亜麻色の髪をふわり跳ねさせ、夢宮 瑠奈はアイドル『未明せれね』として真夏の太陽の舞台に飛び出した。

　真っ青な空に輝く太陽が身体中に降り注ぐ。肌をじりじりと焼く太陽を見仰いで元気いっぱい笑うのを合図に、ステージいっぱいに音楽が弾けた。キラキラ跳ねるタンバリンにティンパニ、踊るピアノにギター。音が耳に届くと同時、せれねは歌声を弾ませる。

　いまこの夏へとびだして
　あなたの中へダイビング！
　わたしはずっとこのまま
　未来へ泳いでいきたいから！

　わあっ、と客席から湧き上がる歓声が波のようで、せれねは波に飛び込む人魚のように両手を大きく広げる。長めに調節したイントロに合わせ、客席へ声を掛ける。
「今年もやってきたねえ、ネコフェス！」
　言った途端、夏の暑さとステージを占める熱に笑顔が弾けた。
「私、未明せれねもステージで楽しく皆を音楽へ導くよ！」
　せれねちゃーん、と最前列から声を掛けてくれるファンにも、パラソルの下で拍手してくれるひとたちにも、せれねは元気いっぱい語り掛ける。
「歌はきっと、皆を元気にさせてくれるから！」
　太陽よりも眩しい声と笑顔で精一杯に声を放つ。
「きいて！　今年の新曲！　『マーメイド・マジック』！」
　客席への語り掛けが終わると同時、イントロが一瞬途切れる。それに合わせ、せれねは歌い始める。

　まぶしい光に　てらされて
　わたしたち魔法　かけられて
　夢の世界はほら　すぐ目の前に
　サカナのちからで　泳ぎだそう
　トリのもつはねで　空をとぼう
　ヒトの持つ勇気で　あなたを目指そう

　人魚の尾のように衣装の裾がゆらゆらと揺れる。水中に舞うようにくるりくるりとターンする度、パレオの隙間からしなやかに白い脛が覗く。
　貝殻を模したフリルの水着ブラトップで飾った胸元、せれねは祈るように両手を組んで客席のみんなに語り掛ける。
「夏はなんだってできる季節なんだから！」
　だって夏はわくわくする。ドキドキ高鳴る胸があれば、きっとなんだってできる。そこに歌の力が加われば、きっと無敵だ。
「歌の力で皆みんな、魔法を持ってほしいから！　私は私の力をもって、みんなに歌の魔法をかけていきたい！」
　魔法の呪文を唱えるように、客席をあおる。
「あついなつを！　もっともっと！」
　太陽よりも眩しいライトの光に包まれ、せれねは確信する。この光の中であれば、
(なんにだってなれる、どこにだって行ける)
　歌の力が広がれば、この光はきっとこの世界を満たしてくれる。きっと皆、なんにだってなれるしどこへだって行ける不思議な力を手に入れられる。

　いまこの夏へ飛び出して
　あなたの中へダイビング！
　だって　私　今は　きっと
　あなたのための　マーメイド！

　いまこの夏が素敵だから
　あなたと私はダイビング！
　ずっとずっとこのまま
　未来へ泳いで　いこうよ！

　だって今は、このネコフェスの間は、ステージの上もステージの下も関係ない。今このときは、
(みんなで一つの舞台なんだから！)
　歌の魔法に掛かったまま、せれねは砂浜で見ている観客と気持ちを重ねて舞台を絶え間なく動き回る。熱い砂浜を歩くように飛び跳ねてみたり、海に飛び込んだ人魚のようにくるくると舞ってみたり――
(ねえ、)
　観客のひとりひとりに、せれねは笑顔で語り掛ける。
「だからみんな！　これは魔法のフェスなんだよ！」
　アイドル未明せれねのステージの魔法に、爽快な夏風がその場を席捲するが如く、客席の皆が笑う。皆が歓声を上げる。
「これからもっともっと盛り上がっていくから、みんな！　振り落とされないように、ついてきて！」
　今はこの場の誰よりも汗を流しながら、全身全霊で歌いながら、心の奥底、瑠奈は願う。
(私は)
　ただただ今この刻を最高に盛り上げたいだけ、皆に喜んでもらいたいだけ、
(――なんです)

　ステージがさざ波寄せる砂浜と化している。
　真っ白な砂浜を駆けるように、人魚のような衣装纏った少女が舞う。煌く尾びれのようにパレオの裾が翻れば、太陽煌くステージは一瞬鮮やかな海の中のようにも見えて、
(きらきらしてる)
　次の出番を待って舞台袖に控えるシャロン・ナイトプレッジは唇を笑みで彩る。夏の海にぴったりな、明るくてきらきらで可愛い楽曲に思わず心が弾んだ。爪先がリズムを刻む。
(ああいうきらきらな曲も大好きよ)
　アイドルとして芸能事務所兼音楽出版社『nth prizm』に所属したとき、事務所が用意してくれたのはそういう『きらきらした』曲だった。屈託なく、誰も彼もを笑顔にできる曲だった。
(でも、私は)
　歌に恋をした。
　自分に『音楽』を教えてくれた子に恋をした。
　そこから全てを始めたから、知っている。
(苦いのはまだよく分からなくても)
　甘いだけじゃないものが人生の中にはある。そう思っている。だからこそ、元々嘘は苦手ではあるけれど、
(私はきっと、私の歌で嘘を吐いちゃいけない)　
　そう思ったからこそ、五月の海を臨む音楽祭のステージにギター一本を持って出演した。アイドルとしてではなく、シンガーソングライターとして。
　それは、お世話になっている事務所が用意した『アイドル』とは違う道。後悔はなかったけれど、音楽祭が終わった後、事務所の人とたくさん話をした。
(怒られるかと思ったのに)
　そんなことはなかった。あの人たちはシャロンの話をきちんと聞いてくれた。シャロンの思いを、願いを、ないものとして扱わなかった。
(だから、私は……)
　ステージを終え、未明せれねが舞台袖に戻って来る。次の出番のシャロンに爽やかに笑いかけるアイドルの顔には汗の粒ひとつ浮いていない。その癖、一礼して振り返るシャロンの目に映ったのは、玉の汗に濡れる白く小柄な背中。
　アイドルとしてステージを最高潮に盛り上げた少女の背中に勇気をもらい、シャロンはギター一本を手に舞台へと飛び出した。

「皆さんこんにちは、シェリーですっ」
　エメラルドグリーンの髪を揺らし、どこまでも明るい声で挨拶をする。返って来る大きな拍手に、先の音楽祭からファンになってくれたらしい人からの掛け声に、客席の外れに見えた事務所の先輩、フィンレイの『変装』した姿に思わず笑顔になる。
「再来週nth prizmから1stミニアルバム『Little Love Letter』を出します！」
　デビュー作がシングルではなくアルバムであること――『アイドルとシンガーソングライターで"シェリー"を分けない』。それが、シャロンと事務所が話し合って出した答だった。
　アイドルとしての『シェリー』にはアイドルとして色んな曲と歌詞を貰った。
　シンガーソングライターとしての『シェリー』にはシャロン自身が今の自分に出来得る限りに色々と曲も歌詞も書いた。
　太陽とライトの眩しさに少し睫毛を伏せる。
(私より凄い人なんて沢山居る)
　瞼の裏にあるのは、眩しい光の下に見止めたフィンレイの姿。自分よりも先に歌った『先輩』の凄まじいまでの歌唱力と表現力。
(いきなりああなれるなんて思わない)
　成功を確信しているわけでもない。
(でも)
　強い光に負けないよう、黒曜石の瞳を上げる。瞳の中に光を宿す。
(でも、これなら)
　歌に嘘のない今の『シェリー』なら。
　例え失敗したとしても、
(私は絶対後悔しないわ)
　太陽よりも煌く光を瞳に灯し、『シェリー』はギターを爪弾き始める。昼下がりの青空に響き始めるのは、甘酸っぱくてけれど少し苦く切ないメロディ。
「皆さんの心に届く手紙があることを祈って」
　客席のひとりひとりに歌の手紙を差し出すように、客席への語り掛けを締めくくる。
「今日はミニアルバムから一曲聴いてください――『留守電タイムカプセル』」

　私が緑なら貴方は赤で
　ああきっと補色みたいな2人
　背中合わせの『互いの装飾品』（アクセサリー）をやめたら
　またあの日の虹みたいに綺麗なもの見られる気がするの
　あと少し
　まだ素直になれないこの手を迎えに来てよ
　留守電タイムカプセル
　開けてくれるのを待ってる