あなたの《誰か》を教えてください！パート２｜リアクション

あなたの《誰か》を教えてください！パート２

　これは、シャロン・ナイトプレッジがまだ幼い少女だった頃のお話。
　シャロンの手元に、《彼》の写真はない。
　けれど時々、街に響く、或いはテレビから流れてくる古い曲――。
　それらはシャロンに、《彼》の弾くギターの音色と、《彼》が紡ぐ歌声を思い起こさせる。
　――さあ、《始まりの日》の話をしよう。

　自分の名を呼ぶ声が、屋敷の中から聞こえる。
　咎めるような響きを帯びた家庭教師の声を耳に、幼いシャロンは、内心にぺろりと舌を出した。
（だって、いつもいつも、退屈な話ばかりなんだもの）
　そう、シャロンは今まさに、家庭教師の元を逃げ出したところだ。
　どこまでも広々とした庭の中。生垣が形作る、美しく精巧な迷路の傍。
　そこで、シャロンは、ぱたりと足を止めた。
（あの男の子……誰かしら？）
　黒々とした双眸が捉えたのは、初めて見る、ギターを抱えた男の子。
　シャロンは、興味津々、日本人と思しい男の子の目の前へと歩み寄る。
『こんにちは。貴方は誰？　ここで、何をしてるの？』
　屈託なく英語で話しかければ、男の子は、少し困った顔をした。
　ああ、と思い当たって、シャロンはもう一度、ゆっくりと、同じ台詞を繰り返す。
　ほっとしたように表情を緩めて、男の子は、シャロンの質問に答えた。
　自分は、浅海珊都（あさみさんと）という名前だということ。
　英国へは、両親と共に、日本からの旅行でやってきていること。
　シャロンの屋敷の庭には、散歩中に迷い込んでしまったこと。そして。
『このギターは、父さんが、くれたんだ』
　珊都はたどたどしい英語で、けれどとても嬉しそうに誇らしげに、そのことを教えてくれた。
『珊都のお父さんが？　それは、とても素敵ね。ねぇ、何か弾いてみせて？』
『いいよ。その……まだ、練習中、なんだけど』
　はにかんで、珊都がギターの弦を押さえる。
　立ち止まりがちな音楽を、シャロンはけれど、耳に心地良く聴いた。

　珊都の英語は拙く、シャロンもまた、日本語はよくわからない。
　それでも、１０日ほどの間に２人はすっかり仲良くなった。
　シャロンの家族や屋敷の使用人にも、珊都の両親にも内緒の時間。
　毎日、生垣の陰で待ち合わせて、ギターを教わる。
　珊都が間違えながらも懸命に弾いてくれる聖歌のメロディに、２人で声を重ねる。
　そんな日々の繰り返しの中で、シャロンは、どんどん好きになっていった。
　珊都も、音楽も。心の底から。
　けれど――その日は、無情にも訪れた。
「えっと、し、すぃーゆー……あげ、」
「agein？」
「うん、じゃない、Yes！」
「……ほん、と？」
「シャル……！　そう、本当。だから、忘れないで」
　別れの日、さよならをしたくなくてぽろぽろと涙を零したシャロン。
　そんなシャロンの頬に、珊都はそっと、触れるだけの口付けを落とした――。

（忘れてないわ。彼の瞳が、きらきらしてたことだって、覚えてる）
　ふと耳にした曲に、《現在》のシャロンは、常のように《彼》のことを思い出す。
　もう１度会いたい。
　その一心で、家族を説得し、日本語も、歌も、ギターも、頑張ってきた。