屋根模様になにを見るか｜リアクション

屋根模様になにを見るか

▲　▼　▲　屋根模様　～こちら星ヶ丘～　▼　▲　▼

日増しに暑さを纏い始めた空気を避けるように、まだ涼しさ残す時間内で日課のジョギングに精を出す。
　いつものコースを全て回って、星ヶ丘の自寮前まで戻って来れば、市橋誉は呼吸を整えながらタオルで顔を拭きふと空を見上げた。
　雲一つない青空。今日は特に蒼が濃いように見えたそのすぐ横には、空に並ぶように映る斜めの屋根。
　気付けば誉は、なにかに誘われるようにして自寮の屋根の上までやってきていた。
　しいて言えば、今日の空があまりに見事だったから。指が疼いたから。

「屋根に上るなんて初めてだったけど、うん、この開放感！」

　汗に濡れた肌を吹き抜けていく風がなんとも心地よい。
　今や大分太陽が高い位置にきた昼近くなれば……誉、徐に周囲の家々を見渡した。
　――　朝早い時間帯なわけじゃなし……窓を開けて演奏している、とでも思われるだろう。
　そう胸の内で呟くと、持ってきたスケッチブックに滑らかな仕草で鍵盤を描く。
　ろっこん『奏でるもの』。
　誉の描いた鍵盤は、触れればピアノそのものの音を響かせるようになる。

　さて何を弾こうか、と思案した瞳の先に映るは、屋根の上でくつろぐ猫の姿。
　可愛いな……と和んだ時には、自然と誉の指は鍵盤の上を踊り出していた。
　『猫ふんじゃった』、ジャズアレンジバージョン。
　インスピレーションに身を任せるまま、軽快なリズムをはじけさせる。
　鍵盤紡ぐ弾き手は一人しかいないはずなのに、まるでいくつものピアノがセッションを楽しむかのように沢山の和声が重なり合う。
　しばし瞼を閉じ、指たちの動きたいままに気持ち良く弾いて、ふともう一度視界開くと、

「ん？　あの猫が……」

　屋根に寝転んでいたはずの猫が、いつの間にか姿を消している。
　唯一の観客であり屋根仲間な感覚でいたのもあり、ピアノの音が五月蠅かったかな？　と少々残念な色を瞳に浮かべそうになったその時。
　ポロンッ♪
　意志に無い予想外な音階が誉の耳に届いた。
　ハッとして鍵盤へと視線を移動させると、先程の猫がいつの間にやらチョコンと隣りに鎮座し、あまつさえ猫パンチで鍵盤を叩いているではないか。
　――　なんて可愛いんだ……！
　思わず見守ってみれば、猫パンチが奏でる音たちが何とも面白く。

「よし、見知らぬ猫、俺とセッションしよう！」

　主旋律はキミだ！　と笑顔輝かせた誉、猫の奏でるメロディたちに合わせ、即興で曲を紡いでいく。
　トトトトッと駆けたと思えば、音階一気にジャーンプ！
　肉球が押す音たちはデタラメであるはずなのに、なんとも猫らしくて。

「飛んで跳ねて……あはは目が回る……！」

　自由な音の間にビートを利かせ合わせるのは大変だけれど、一緒に創り上げている感覚がとても楽しい。

「お前も楽しんでるか？」
「にゃん」

　一人と一匹の視線が合うと、タイミングよく返事が発せられた。
　――　可愛い……きっと楽しんでる……！
　さっきよりも慣れた肉球パンチの動き、なれどその横顔はどことなく凛としていて。
　力強いメロディだからだろうか、少し彼女に似ている。
　猫のように気まぐれさを持ちつつ、その瞳は常に強い光を宿している。
　……その光の中に、不安の影をそっと隠していた彼女……。この音楽が届けばいい。ほんの少しでも、その心を慰められればいいのに。
　跳ねる指の動きに、微かにそんな想いが混じりながら。

　リズムに乗っていた呼吸が乱れ出せば、どちらからともなく自然とピアノの音は終わりを紡いだ。
　ふー……と大きく息を吐いてから。

「お疲れさん。おかげでとても楽しかったよ。うちで何か食べていくか？」

　一時の相棒へそう問いかけてみる。
　すると、満月のように大きな瞳を僅かに細めて『にゃーん』と淡泊に鳴いた後、逃げ出すわけでも無く、クールにゆっくりゆっくりと立ち去って行った。
　つれないはずのその小さな背中を、誉は最後まで微笑浮かべて見送るのだった。

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