FEAR THE FORCE：夢幻泡影｜リアクション

FEAR THE FORCE：夢幻泡影

　セットしておいたエアコンが、シンセサイザーのように心地好い朝を運んでくる。
　今日もアラームより先に目が覚めた。これで平日に限れば五日連続、新記録だ。
　唇に穏やかな笑みを浮かべ、明智珠樹は目をひらく。右目にかかっていた前髪を手ではらいのけた。
　青と白、縦ストライプのパジャマ、襟元のボタンを何の気なしにいじる。
　なんとなく物足りない気持ちだ。このあたりに、夢見るような翠玉のブローチでもついていればいいのに、そんなことをぼんやりと思った。
　いや、それはないな。寝間着だ。
　待て待て――我が想像ながら苦笑してしまう。
　そもそも普段着でも、そんな派手な格好はないだろう。どこから出てきた発想なのか。
　水面に舞い降りる羽毛のように、音もなく珠樹は身を起こした。
　そうしてため息をこらえるべく口元に手をあて、愛しい人の寝顔に視線を落とすのだった。
　妻が眠っている。
　同じく寝子島生まれの幼馴染み、自分と同じ28歳だが、こうして無防備に眠る横顔は、あどけなき日々と何ら変わりはない。たえず意識し合う関係だった想いが通じ合い、結婚に至ったのはつい半年前のことだ。
　美しい。間違いなく。
　長い睫毛は夜の翼のようで、唇の光沢はまるで真珠。
　髪は軽やかな栗毛だ。先端が、寝息にあわせて微弱にふるえている。
　珠樹は夢想する。
　ピンクの髪だったら、もっと素敵なのに。
　加えてウサギのような耳飾りも、頭にあったら――。
　いけないな、と珠樹は首を軽く振った。
　それは昨年秋のハロウィンに、彼女が行った仮装じゃないか。渋る彼女に「似合うから」と拝みたおして、ようやく実現したバニーなコスプレ。珠樹の見立ては間違いなかった。飛び上がりたくなるほどマッチしていた。
　……けれど珠樹は自我を取り戻す。
　昨日コーヒーでも飲み過ぎたのだろうか、今朝はどうも、妙な連想が多くていけない。自分らしくもない。
　愛しきひとの目を覚まさぬようベッドから抜けようとするも、つん、とパジャマが首元に突っ張った。
　小さくて白い手が、珠樹の袖をつかんでいた。
　あぁ、今日も幸せだな。
　心から珠樹はそう思う。
　これ以上、なにを望めるというのだろう。

「起こしてくれていいのに」
　妻の千亜はふくれ面だった。唇をとがらせているあたりも未就学児みたいで可愛らしい。
　アイロンがけしたパンツにワイシャツ、暑さにめげず袖まくりせず、ハーフウインザーノットのネクタイまで巻いた隙一つないコーディネート、すっかり身支度をととのえた珠樹と比べると、千亜の現在はまだピンクストライプのパジャマ上下で、髪もブラシしていないというナチュラルモーニングa.k.a.『起き抜け』丸出しだったからだ。
「あまりにもよく寝ていたから、起こすのが忍びなくて」
　珠樹は屈託なく笑った。
「また子ども扱いするっ」
　げんこつを作って振り上げるその仕草が、やっぱり幼いということに千亜は気がついていないらしい。ついでに言うと、ごまかしようがないほどに寝ぼけまなこだ。
「してないしてない」
　珠樹は黒いリュックサックを担いだ。本日返却予定の課題がぎっしりと詰まっていてなかなか重い。自転車の鍵をテーブルから取りあげると、愛する妻に顔を寄せた。
「朝食はテーブルの上だからね。ふきんをかけてあるから二度寝しても大丈夫だよ」
「って、また子ども扱い」
「あと、おやつは戸棚の中ですよ」
　猫が威嚇するときのような声とともに千亜はパンチを繰り出すも、珠樹はこれを悠々とかわしていた。
　そして妻の唇に、小さくも甘いキスを与える。
「いってきます」
「……ん、いってらっしゃい」
　妻の頬は桃色に染まっていた。

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