また、降ってきた｜リアクション

また、降ってきた

　駆け出しの小説家薄野一月は切れてしまった万年筆のインクを買いに、居候中の蕎麦屋『すすきの』を出たのだ。けして原稿に詰まったからではないのだ。
　曇天の下一月は、のーんびりのーんびりと文房具屋に向かい、いつものインクを買い求める。そしてまたぶらぶらと散策しながらの帰り道、重く垂れ込めていた雲間からぽつりぽつりとき始めた。

「あちゃー、降ってきちゃったねぇ」
　一月は慌てて近くの軒下に駆け込み、ぱたぱたとシャツをはたいた。ぽつりぽつりはあっという間にザーザーと街全体を濡らしている。梅雨を舐めていたなとそっと空を仰げば軒から大きな雫が落ちてきて、一月はがっつり濡れた眼鏡のレンズを拭く羽目になってしまった。
「どうしようかなー」
　傘も持ってきておらず完全に足止めを喰らってしまった一月だが、状況とは裏腹にその灰色の瞳は何だか楽しそうだ。
（俺、雨は結構好きなんだ）
　カラフルな普段の世界が雨が降るとちょっとモノクロに見えるような気がする。いつも見ている場所なのに、全く違う顔を見せてくれる。それが何だか面白い。
「……ま！　雨宿りしてれば、その内に止むかな？」
　一月は様変わりした街を見ながらにっこり微笑んだ。どうせ気楽な作家稼業。一分一秒を争う訳でもないし、もし止まなければ濡れて帰ればいい。……水も滴るなんとやらって言うもんね！

　雨は変わらず降り続ける。人通りの途絶えた街を、一月はぼんやりと眺めていた。何か世界は俺１人になったみたいだ。聞こえるのは雨の音と、にゃーという鳴き声だけ。……にゃー？
　レンズの奥で一月はぱちぱちと瞬きした。よくよく注意して辺りを見ると、そこかしこの軒下にたくさん猫達がいるではないか。
「や、猫くん。君らも雨宿り？　おにーさんもおにーさんも！　お仲間だねぇ」
　何だかちょっと嬉しくなって、一月は右隣の軒下にいる猫達にひらひらと手を振る。『にあ～』と欠伸混じりに猫が鳴いた。
（世界は俺１人なんて傲慢だったな。どちらかと言えば猫くん達に俺が紛れ込ませてもらってる）
　雨にもさして動じずふてぶてしく丸くなる先輩猫達。うーんさすがだなぁと思いながら一月が視線を落とすと、灰色のもふもふが左の視界の端っこに入った。
（あれ？）
　振り向いてみれば同じ軒下の１ｍくらい先に、灰色のハチワレ猫がちょこんと座っている。ギンッとこちらを見たその猫の眼光の鋭さに、一月は慌てて視線を前方に戻した。
（び、びっくりした）
　そんなに睨まなくたって。一月は思いながらも首を傾げた。緑の瞳に灰色の毛。そしてあの目つきの悪さ。……何かあの猫くん、ちょっとテオに似ている気がする。あんまり近くで見た事ないからはっきりわかんないんだけど。

　雨はしとしと降り続ける。一月の隣には雨空を見上げ不機嫌そうな灰色猫。軒から垂れた大きな雨粒が地面に跳ね、猫はぷるりと頭を振る。その様子に一月はくすりと笑うと、笑みを残したまま彼も空を見上げた。
　突然の雨は困りものだけど、誰かと一緒に雨宿りするのは……何かいいねぇ。

　濡れた街の軒下に。目つきの悪い灰色猫と薄茶の髪のおにーさんが、仲良く並んで雨が止むのを待っている。

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