本日は失敗日和につき｜リアクション

本日は失敗日和につき

　目を覚まして時計を確認した瞬間、御巫時子は愕然とした。
（まさか、寝坊するなんて……）
　前日の夜空には、とても綺麗な満月が微笑んでいて。
　それでつい、ヨタカさんと遅くまで話し込んでしまったのが原因かもしれないと考える。
　着替えて準備をし、急いで家を出れば、まだ学校には間に合う時間だ。
　けれど時子は、ほとほと困り果てていた。
（お弁当……どうしましょう）
　昨日の、学校での出来事を思い出す。
　時子は「明日はお弁当を作ってきますね」とそっと笑みかけてから、五十嵐尚輝先生と別れたのだ。
（でも、お弁当を作る時間なんて……遅刻していくわけにもいきませんし……）
　確か、今日の一限目は化学だった。
　無遅刻無欠席を守っている時子には、遅刻だなんて考えられない。
　結局、昨晩仕掛けておいた炊き立ての白米で、急遽、塩むすびをこしらえた。
　それに手作りの糠漬けだけを添え、弁当箱に詰めたのが今日の弁当だ。
「後で、謝らなくては……」
　昨日、弁当の為の食材だって買っていたのに。
　気持ちがずしりとお腹の底まで沈んでいるのを感じながら、時子はため息を吐いた。

　そして、昼休み。
　時子は訪れた実験室で、五十嵐先生に、おずおずと今朝作った弁当を差し出した。
　受け取った五十嵐先生が「ありがとうございます」と微かに笑んだのに、時子の胸は益々痛む。
「その、」
　声を零せば、五十嵐先生の分厚い前髪越しの眼差しが、時子へと注がれる。
　耐え切れずに俯いて、時子は言った。
「尚輝先生、すみません……。今日は早く起きれず……あの……お弁当が……」
「お弁当が？」
　不思議そうな顔になって、弁当箱の蓋を開ける五十嵐先生。
　その中身を検めて、五十嵐先生は「ああ」と得心したように漏らした。
「御巫さんに元気がない理由が、なんとなくわかった気がします」
「……元気がないように、見えますか」
「僕のような鈍い人間でも気付くんですから、相当です」
　頷いて塩むすびを手に取ろうとする五十嵐先生へと、
「あの、今日はカップ麺でも良いと思います……」
　と、時子は、薬品の匂いの中に溶け込んでしまいそうな声で告げる。
（尚輝先生は、『ああ』とおっしゃいました……）
　納得した、というふうな声音だったけれど、そこには幾らかの落胆も混ざっていたのではないだろうか。
　どうにも、そんな気がして仕方がなかった。けれど五十嵐先生は、
「？　何故ですか？」
　なんて、きょとりとして首を傾げるのだ。
「何故って、その、今日は、塩むすびだけですし……」
「いいじゃないですか、塩むすび。こういう素朴なお弁当も、嬉しいです」
　有り難く思っています、と、五十嵐先生は言った。
「だから、カップ麺じゃなくて、この塩むすびを食べたいです」
「……ありがとうございます」
　ようやっと、時子の口元に、淡く笑みの色が乗る。
　かくして２人は、一緒に塩むすびを口に運んだ。
「ん、糠漬け、美味しいですね」
「本当ですか？　私は、塩むすびと漬物の取り合わせは好きですが……」
「僕もです。御巫さんは、いつもきちりとお弁当を作っているので落ち込む気持ちもわかりますが……」
　偶にはこういう日があったっていいものだと思う、と、五十嵐先生はぽつぽつと音を紡ぐ。
　かんばせに笑顔の花を咲かせて、
「ありがとうございます……。でも、今度は寝坊せずに、お弁当を作ってきますね……」
　と、時子はおっとりと、けれど確かな調子で応じた。
　美味しいと言ってもらえる、その、かけがえのない幸せのために、と。