あの日のあとで３｜リアクション

あの日のあとで３

　放課後の武道場での戦いは、益々以って熱気を増していた。
　詠寛美の足の裏が、再び、『縮身』を発動させている七峯亨の頭上へと迫る。
　亨は、避けない。
　否、『避けないというフェイク』を、次の一手に繋げる礎とせんとした。
　が、しかし。
「ぐっ……！」
　二度同じ手を食らうことを、寛美の側が許さない。
　上からは寛美の足の裏、下からはざりざりとした畳の感触。
　どちらが天でどちらが地か見失いそうになる程の勢いで、擂り下ろすようにして轢かれる亨の小さな身体。
　油断は命取りだと知っているからこそ、寛美の足の運びに、躊躇いはない。
　その寛美の足が、瞬間、ほんの僅かだけ浮いた。
　翻弄され、眩暈に見舞われるような状況下でも、亨は、そのふとした隙を見逃さない。
　転がるようにして、寛美の猛攻を何とか逃れる。
「……っは、やっぱ、同じ手は駄目か」
「当たり前だ！　全く、田舎道の蛙みたいにしてやるくらいの気概だったが、流石にタフで素早いな……」
「ぺしゃんこに轢き潰されるのは勘弁だからな。それに、この勝負、おいそれと終わらせちまうのは惜しい」
「違いないな」
　寛美が、微か、片方の口の端を上げる。
　互いに軽口めいた言葉を零し合っている間も、二人の攻防は休むを知らず続いていた。
（ああ、熱い）
　矢の如く鋭い蹴りを避けて、亨は口元に弧を描く。
　戦いがヒートアップすればするほどに、亨の胸は震えんばかりに歓喜した。
　――宴酣となったからには、燃え尽きるまで。
「鉄は熔け落ちるまで焼いてこそ美しいってなァ！」
「なら、どろっどろに熔けちまえ！」
　互いに互いの熱をぶつけ合うようなやり取りの中で、寛美が、もう一撃、蹴りを放つ。
　亨は、それをすんでのところで跳んで避け、角へと退いた。
「逃げ場はないぜ」
「何、背水の陣も好い」

「さあ、決着まで暴れようぜェ！」
　壁を、寛美の肢体を足場に、翻弄するようにして幾度も跳躍する。
　飄々として軽快なその軽業は――寛美から、遂に、平静を奪った。
「ええい、まどろっこしい！」
　平手が、風を切る音を立てて迫る。
　壁面へ自身の身体を打ち付けんとしているのだと悟ってなお、亨は動じなかった。
　指と指の隙間を見逃さず、その一撃の威力を殺ぐ。そして――。
「っ……！」
　亨は、再び、跳んだ。
　空中でろっこんを解除すれば、相手に、反射で生じる一瞬の怯み。
　脚を刈る。捻りを利かせて、相手が受け身を取る前に、鳩尾へと踵を叩き込む。
　寛美が、声にならない叫びを、何とか噛み殺した。
「っ……やるじゃ、ねぇか」
「お互いに、な」

　未だ、戦いは続いていた。
　常の等身で挑めば投げ技が猛り、身を縮めれば全力で『潰す』為の暴威が亨を襲う。
（咬まれぬだけ易し、か）
　相手の攻撃を耐え切れば、能力解除、突き上げ、投げ、と続く怒涛の反撃。
　しかし――体力勝負の中で、先に膝を付いたのは、亨の方だった。
　寛美が、まだ興奮にぎらつく双眸で亨を見下ろす。
「おや、今度は『降参だ！』じゃねぇのか」
　限界を迎えてなお、不敵に笑う亨。
「あの時と違って今はぺしゃんこにゃならねぇが、肺から空気を圧し出せりゃ、晴れて夕飯は鶏肉さ」
「達者な口だな。身体の方もそれくらい達者に動かして……いや、まあ、いいか」
「ああ、次はもっと耐えよう。よっちゃんが太らねぇ限……」
　――メシャッ。
　気・心・体、共に既に緩んでいた亨の頭上へと、寛美の全力の肘が落ちる。
「がふっ……今、メシャッていったぞ、メシャッて！」
「うるせえ！！」
　武道場に響き渡る、寛美の怒号。
　そういえば、と、亨は『負けた方が奢り』という約束を、痛む頭の奥で思い出した。