●故物商・申海波


　夜が明けた。
　雨上がりの澄んだ空気が日常を取り戻したレッドランタン・タウンを包み込んでいる。
　隠れ家で短い眠りを取った一同は、ユチェンの道案内で鶏が好き勝手に歩く路地を抜け、何の変哲もない民家を訪れた。
「ここが、申海波のアジト、なのか？」
　新田 亮は拍子抜けした顔で言った。
　遣り手の故物商というから、さぞ物が溢れているだろうと思いきや、部屋にあるのは空の安楽椅子とオイルランプがひとつ、ささやかな日用品と言った風情で、これではただのご隠居の住まいだ。
「ユチェン、この後に及んで私たちを騙そうっていうんじゃ」
　ブリジット・アーチャーは語気を強めたが、ユチェンは真剣な顔で首を横に振った。
「騙したりなんかしない。今呼ぶ。――爺爺！　お客さん！」
「『爺爺』？」
　中国語が多少わかる八神 修は首を傾げる。爺爺は中国語で父方の祖父を意味する言葉だ。
　唸るような返事があって、奥の戸から背の低い白髭の老人が姿を現した。
　大儀そうに安楽椅子に腰かける。
　黒曜石のような目元の雰囲気がユチェンとよく似ている。
　その瞳を、老人は穏やかに緩ませた。
「申海波をお探しかな。わしがそうだ。年なもので、座ったままで失礼するよ」
「孫？　え、ええっ」
「そうだったの、ユチェン？」
『ほんとうなの！？』
　ブリジットと桜庭 円と小山内 海が交互に詰め寄ると、ユチェンはひと息吸って背筋を伸ばした。
「オレの名前は、申 雨晨（シェン・ユチェン）。あんたらが捜してたハボ爺、オレのじいちゃん」
「どーしてそのこと、最初にいわなかったのさ？」
　円が口を尖らせると、ユチェンはハボ爺の安楽椅子の後に立つ。
「じいちゃんに口止めされてたから。でも仲間を助けるため、強そうな人たちの力を借りるしかなかった。ハボ爺を捜してるっていうのを聞いて、交渉に使えると思った。……みんなのこと、利用したみたいで、ごめん。ハボ爺も、ごめん。勝手に情報を漏らすような約束をして」
「夕べ遅く帰ってきたユチェンにすべてを聞いた」とハボ爺は言った。
「ご存知の通り、清廉潔白とは言えぬ仕事なものでね。ユチェンの身を護るため、わしの名を出してはならぬと言い含めてあった。しかし、夕べの件は聞けば聞くほど、皆に直接礼を言わねばならぬと思ってな。約束を守って、ここにお呼びするよう言いつけたのだよ」
　ハボ爺は安楽椅子の中から、深く頭を垂れる。
「孫と、その友人たちが世話になった。心から礼を言う。ありがとう」

　サキリ・デイジーカッターは何かあれば動けるよう、まだ油断なく懐のナイフに手を掛けたままだった。
　音海 なぎさも緊張した顔でハボ爺を見ている。
（宝がうんたら……みたいなこといったら絶対足元見られたりするだろうし、かと言って貴重な神様だから……みたいなこと言っても譲ってくれないだろうし。ここはひとつ、知っている神様を集めて回っている、という方向で買い取り交渉に入ろうか？　お金が足りなきゃ、消毒液とか交換に使えそうなものを提示してみようか……）と、取り留めもなく考えていたからだ。
　しかしハボ爺の雰囲気は穏やかで、難しい交渉の必要はなさそうである。
「わしに用ということだが、なんなりと。可能な限り応じよう」
　その言葉を受け、サキリはリンコ・ヘミングウェイに目配せをした。
　交渉のとっかかりは顔見知りの彼女が行うのが一番だと考えて、前もって擦り合わせておいたのだ。
　リンコは、ハボ爺の前にしゃがみ込む。
「ハボ爺、お久しぶり。私のこと、覚えてる？」
「おお、リンコ。覚えているとも。たしか前に会ったのは九年前……」
「十年前よ。シーノの仕事だったわ」
「そうじゃ。小娘じゃったが、すっかりいい女になったな。今回もシーノ絡みか」
「いいえ。もうシーノは辞めたの。今はこの子といっしょにR&R Agencyっていうオカルト調査会社をやってる。前のところよりもうちょっとカタギ、かしらね」
　リンコが坂内 梨香を紹介する。梨香はハボ爺と握手を交わした。

「坂内梨香です。どうぞよろしく。貴方のお噂はかねがね……早速ですが用件に入っても？」
「勿論だとも」
　梨香は簡単に事の成り行きを説明した。
　盗品の像がここに持ち込まれたらしいこと、まだここにあるのか、ないなら行方を知りたいということ。
「ところで、話を進める前に、一つ確認しておきたい」
　御剣 刀が厳しい表情でハボ爺に問う。
「貴方は像を盗んだ者たちの一味か？」
「いいや。わしはただの商人。売りたいという声あれば買い、買いたいという声あれば売る。それが仕事だ」
「では、盗んだ奴らのことを教えてくれないか」
「申し訳ないがそれはできない。一応、客なのでな」
「――中国マフィアのせこい下っ端よ。そこまでは私たちも調べがついたの。いわゆる出稼ぎよね、日本に来て、守り人不在だったりセキュリティが整っていない神社や寺から仏像やら神像やらを盗んで金に換える。自分たちで売り払うことは難しいからハボ爺みたいな故物商に仲介してもらう。場合によっては売り手には盗品だということは伏せられる」
　横からリンコが答えを言ってしまうので、ハボ爺は深くため息を吐く。
「お前さんねえ……」
「ハボ爺は、あの像が本当はどんなものか知らなかったんじゃない？　おそらく、盗んだ奴らも。そうでなかったらこう簡単に売り払うわけがないもの。自分のボスに持っていくでしょ」
　ハボ爺はほどんどイエスだというように咳払いをした。
　リンコは、その反応に満足し、先を続ける。
「みんなにもユチェンにも言っておくけど、ハボ爺がいいとか悪いとかそういう議論はなしよ？　私たちは像の行方を知りたいだけ。それ以外に余計なことは聞かないし、ハボ爺のことも漏らさない。その点は約束する」
「ふむ……」
「もしまだ手元にあるなら買い取らせてほしい」
　と修が切り出す。
「残念だが、あの像は手元にはない。すでに買い手がついてしまった」
「ならば、その買い手について教えてほしい。あれは神の力を持つ像だ。俺達はその力でここに転移した。提灯異変を見た貴方なら事実だと分かるだろう」
　恵御納 夏夜も感じている懸念を伝える。
「提灯妖怪化の原因に像が絡むなら『像の現在地』でも同様の危機が発生しうる。……それが原因で逆恨みなどされるかもしれない。それは貴方の望むところではないと思うけれど」
「恵御納の言う通りだ。人がどうこうできるモノじゃない。ヘタしたら災いとなる。それを防ぐ為にも力を貸してほしい」
　修の言葉にユチェンも頷く。異変に巻き込まれた身だからこそ、修の言葉が真実だとわかるのだ。
「ハボ爺……」
　ユチェンの懇願するような声。
　梢が冗談めかした仕草で安楽椅子のまわりを舞った。
「情報料として蝶の如く華聯な私が色々お手伝いしてもいいんですけどね！　あ、夜のお世話はＮＧですよ？」
　屋敷野 梢のウィンクに、ハボ爺はカッカッカと笑い声をあげた。
「愉快なお嬢さんだ。いや、教えぬとは言っておらん。孫たちを救ってくれた礼に買い戻してやりたい気すらある。だが、相手が少々厄介でな……」
「厄介、ですか？　私たち、ある程度荒事はできますよー？」
「夕べの活躍は訊いた。不思議な力を使い、鬼神のような活躍であったとか。お前さんたちなら、或いは……」
　ハボ爺はユチェンに奥の部屋から巻物の地図を持ってこさせた。
「お前さんたちが捜している神像は、ここから西へ行ったところにある山奥の村にある。その村は独自の信仰を持っていて、前々から自分たちの信仰に相応しい神の像を捜していた。村の指導者にいくつか候補を見せたところ、これだ、と言ってな。先日納めたところなのだ。ようやく手に入れた神像を、そうやすやすと手放しはしないだろう」
「なるほど。その『山奥の村』っていうのは？」
　ハボ爺は地図を広げ、一点を指す。
「ここだ。人呼んで――」