つつもすすはらいて｜リアクション

つつもすすはらいて

「ひぃ、はぁ……。さすがに、これだけの距離走って昇ると……疲れる……」
　九夜山の中ほどに位置する落神神社までの道のりは決して短くはない。長い階段を一散に駆けるというのはなかなかの運動量だった。神無月ひふみは鳥居まであと少しというところで中腰になって粗い息をつく。
「ほんと、何なのよ……これ……」
見つめているだけで飲み込まれそうな不気味な光景。黒い何かが、うぞりうぞりとうごめいて、神社の境内を覆い隠している。どう考えても異常事態だった。それも、とびきりの。耳を澄ませば、呪詛のような、葬送歌のような、若い娘の声が聞こえる。

――つつもがみのうらみはらさでおくべきか

確かにそんな風に聞こえた気がして、ひふみの背筋に寒気が走った。辺りには自分以外、誰もいない。ここにこのままいてはいけない。邪気に当てられ足が竦み、腰が抜けそうになるのを必死でこらえた。

「あれ！　ひふみ君。なんだ、先読みされちゃってたかな？」
「ひあぁあ!?」
　ひふみは仰天して飛びすさる。声の主が探していた晴海飛鳥だと気づいて、心底安堵し、また呆れたといったようなため息を漏らした。そして飛鳥にまくし立てる。
「はぁ……あーちゃん！　急に飛び出して行っちゃうから、探しに来たんだよ？　どうして私より後になっちゃうわけ？」
「あはは、ゴメン。ちょっと考え事とか、思い出そうとしてたこととかあってね」
「ああそうだ、それよ！　あーちゃんが今朝言ってたこと、大事なことだと思うの。妖怪退治の！」
「ん？　なんだっけ？」
「竹がどうとか言ってたじゃない！」
ああ、と飛鳥は自分の言ったことを思い出す。それと同時に、拝み屋だった祖母から聞いたおぼろげな記憶を探っていた。彼女にも、黒い塊から漏れ聞こえる恨み言は届いている。『つつもはひとにうらみをはらしてくれる』と聞こえた。
「つつも様、か。ばあばから聞いたことがある気がするね」
神社のそばによく竹があるわけ。神事によく竹が使われるわけ。祖母が、むやみに敷地の竹に触ってはいけないといっていたわけ。飛鳥は思い出す。
「神社の清められた竹なら、この手のものに聞くかもしれない」
「ほんと!?　じゃあ、ここの……」
「いや、ここじゃだめだ。第一入れてくれそうにないよ」
言うや飛鳥はひふみを手招きし、元来た道を戻り始めた。慌ててひふみもそれを追う。
「待って！　あーちゃん、どこ行くの!?」
「竹を取りに行こう！　寝子島神社ならなんとかなるかもしれない」
「で、でも……」
戸惑うひふみの手を、飛鳥がいつにない強い力で引く。
「気づかれた。走るよ！」
同時に、鳥居の向こうでぞわりと大きなものが動く気配がした。その中から、ひとりの少女が吐き出される。土と血で汚れてしまったパジャマ姿、茶色の髪は片方が解けて、残った一方のテールだけが頼りなげに揺れている。定まらない虚ろな視線を向ける少女の髪には、不気味なほどつややかな櫛が挿されていた。ひふみはその少女に見覚えがあった。
「あーちゃん！　あの子、たぶん一年の！」
「わかってる！　今は離れるのが先！」
少女が手を伸ばすのを合図とするように、黒い塊からしゅるしゅると何かが伸び、迫ってくる。無数の細い槍のごときそれは、すべて人の髪の毛だった。虚ろな瞳の少女の横を抜け、逃げる飛鳥とひふみを狙う。だが、鳥居の前でぴたりと止まった。再び誰もいなくなった境内の真ん中には、恨めしげに二人が去った方向をにらみつける和服の娘が立っていた。
　小柄な体のどこにそれだけのスタミナがあるのか、飛鳥は速度を緩めることなく寝子島神社を目指す。距離を離されたひふみは息を荒げて立ち止まった。
「そうだ、これだけは伝えておかなきゃ」
　『つつもっていう神社の妖怪に一年の学級委員の女子がつかまってる！　力を貸して！』
『ねこったー』にアクセスし、急いで一言ポストすると、ひふみは全速力で飛鳥を追った。

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