● 潜入、バール屋敷

　時をすこし巻き戻して、荒くれ者たちがぞろぞろと裏通りを行進していたころ。
　忍布を纏い、姿を見えにくくしたスハイル・アルムーリフは、屋敷を見渡せる近隣の空き家の屋根の上からバールの屋敷を偵察していた。

（すでに勝手知ったる場所なのではありますが……人の出入りや変わったところがあるでしょうしね）
　警戒されているだろうから、まずは遠目に屋敷内全体の動きや人の配置を確認する。
　屋敷にいるのは十人ほど。玄関に二人見張りがいる。屋敷外を巡回しているのが二人、屋敷の中を二人組で巡回しているのが、一階と二階にそれぞれ一組ずつ。残りのふたりは書斎前に控えている。
　バールは書斎にいるらしい。なにやら客人があるようで、メイド服の使用人が、ティーポットと菓子を乗せたカートを押して書斎へと入ってゆく。
（おや、あのメイドは見覚えがありませんね。新しく雇われたのでしょうか）
　水色の長い髪を、尖った耳の両わきでリボンで留めた、可愛らしい少女である。
　しばらくすると書斎の扉が再び開き、メイドが空のカートを押して出てきた。
　スハイルは念のため、厨房へ戻るメイドの少女を観察することにした。

◇

「ふうっ、あれがバール！　やらしいなあ、私の胸をじろじろ見て！」
　厨房に戻ってきたアリス・ミーティアは、息を吐いて緊張を逃がした。
　アリスは普段はbarアストラルで給仕として働く女の子である。十二支団と悪徳商人バールが揉めている（？）らしいという噂を聞いたアリスは、好奇心を抑えきれず、給仕スキルを駆使してバールの屋敷にスーパーメイドとして潜入したのである。
「高利でアコギな商売をしてるとか、役人に賄賂を渡して便宜を図って貰っているだとか、裏では取り扱い禁止の品を扱っているだとか、黒い噂は酒場でいろいろ聞いてたけど……」
　出っ張った腹や、ヤニで黄色くなった歯や、口元や頬は笑っているのに、これっぽっちも笑っていない目を思い出すと寒気が走り、ぶるると身震いする。

「ところで……盗賊団と悪徳商人ってどっちも悪い人たち？」
　よく分からない。十二支団は義賊だという人もいるけれど、盗みをするならやっぱり悪い人たちだろうか。
　そのあたりも含めて、まずは情報収集だ。
　アリスは掃除道具を手に廊下に出た。
　この格好で「お疲れさまです。お掃除に来ました。よろしくお願いしまーす！」とにっこりすれば、大概の場所に入れてしまう。巡回や見張りの強面さんたちも、掃除に来た外見年齢14歳のアリスのことは、屋敷内の仲間だと思って「おう、お疲れ様。新顏かい？」「可愛いね」と相好を崩して声をかけてくれる。
「そうなんです。実は迷子になっちゃって……今日からなので、お屋敷の中のこと、ぜんぜん分からなくて困ってるんですけど、教えて貰えますか？」
　可愛らしく訊ねると、屋敷の内部構造があらかた分かった。
「ありがとうございます。あとで、お酒とおつまみ作って持ってきますね。ええと……何人分、どこに届けたらいいでしょう？」
　この質問で、バール側の戦力と配置も把握できた。
　巡回の男たちは、アリスに情報を漏らしてしまったなんてことは微塵も気づかず仕事に戻る。
「じゃあね。お掃除がんばって」
「はーい。ありがとうございます！」
　男たちの姿が見えなくなると、アリスはぺろっと舌を出す。
「武器庫は１階の奥か。追加の武器を取りに行けないように物で塞いでおこっと」
　さりげなくその仕事を終えると、先ほどお茶を運んだ時に見た客人が、うろうろと廊下を歩いている。
「どうかしました？」
「屋敷が広くて迷うなあ。お手洗いを借りようと思ったけど、どこだろう？　ここかな？」
　ビジネススーツで正装し、髪もなでつけてやり手な雰囲気を醸し出している若者は、八神 修であった。
　修が開けたのは裏口の戸である。
「おっと、ここは裏口」
　そのセリフがあまりに棒読みだったので、アリスは若者がわざと裏口を開けたのだと気づいた。
「お客様、お手洗いはあっちですよ」
　手を添えて裏口を閉じながら、アリスは修にウィンクする。
　戸はうっすら開いたまま。鍵はかけない。
「ありがとう」
　修はアリスの協力に気付いて、同じようにウィンクした。
「そうだ。折角だから、お仕事中の皆さんにも極上の酒と肉肴を差し入れたいんだけれど、見張りの人たちの詰所はどこかな？」
「それなら私が持っていきます、お客様。あとでお酒とおつまみを差し入れすると伝えてあるので……メイドからのほうがいいでしょう？」
「わかった。頼むよ」
　修から極上の酒と肉肴を受け取る。ふたりはそれぞれ廊下の反対の方へ歩き出す。
　アリスは酒や肴を盛り付けるためいったん厨房へ。ありあわせの物でおつまみを作るのはお手の物。修の肉肴をクラッカーに載せて、見た目も美しく食べやすいつまみに仕立てて出すことにしよう。
　修はゆるりと館の中を見回しながら二階へ。
（俺のほかにも潜り込んでいるのか。盗賊団を襲う話が漏れてることといい、ザルセキュリティだな）
　お手洗いなんてどうでもいい。必要そうな手は打った。
（友人達と営む武具屋つきコンビニ「ねこよろず」。本店は第一階層……つまりバールは取引相手だ。新興企業は彼に色々納めなければならないのが現実……）
　修は窓ガラスに映った自分を見つめる。
　自分の店や、いっしょに働く友人たちの顔が浮かんでは消える。
（勿論、俺達は悪徳な商売は絶対にしない。安心安全で良品を安価に町のホットステーションだ）
　聞いたフレーズだな、と苦笑し、両手で髪を撫でつける。
　現れたのは、やり手の経済人の顔だ。
　街での噂は修も知っている。今日に限って商談のために呼ばれるなんて、安い計略の匂いしかしない。何か事が起こったときに「今夜は商談でしたよ」というアリバイ工作に利用しようとか、まあ、そんなところだろう。それならこちらにも考えがある。適当に話を合わせて引き伸ばし、部下の指揮のために退室し辛くし間接的に妨害してやるのだ。それから……。
　修は、素早く左右を見回し、人気のないのを確認すると、怪しいと目星をつけていた部屋にするりと忍び込んだ。勘を働かせて書類棚から書類を抜く。
　思った通り、あった。不正の証拠や違法商品の販売記録だ。
「わあ、これは大変だ」
　誰もいないのに修は棒読みで慌ててみせた。
「見付かったら大変じゃないか」
　もちろんこれらの書類は鞄に回収。
　入ったときと同じようにするりと廊下に出ると、また棒読みなセリフを吐く。
「いやーほんとに、迷っちゃうよな。お手洗いどこなんだろうなー」

◇

　屋敷内の配置などを把握すると、スハイルは屋根から下り、フォーマ・シャオと合流した。
　情報を共有しあったのち、バールの屋敷近くで狼煙を上げる。
　外回りの巡回が様子を見に行ったのを見計らって、裏口へ。
「……開いてる」
　うっすらと開いて鍵もかかっていない。
「罠か？」
「協力者がいると考えるほうがしっくりきますが……」
　忍布を纏い、屋敷内へと潜入を果たしたスハイルとフォーマは、戦闘に巻き込む人間を減らそうと、料理に眠り薬を仕込む計画だった。ところが見張りたちが詰所として使っている一階の部屋に着くと、その仕事は、すでに水色の髪のメイドが供した極上の酒とつまみが果たしてくれていた。
　バールの手下たちはアリスが勧めた強い酒で酔っ払い、持ち場に戻ろうにも千鳥足である。
　詰所部屋を覗いていたフォーマは、一歩下がると頭からすっぽり被った忍布をわずかに上げて顔をのぞかせ、同じようにしたスハイルの、綺麗な横顔に耳打ちする。
「眠り薬を飲ませるまでもなさそうだ。よくわからんが、協力してくれた奴がいるみたいだな」
「バールの普段の行いのせいでしょうね。おかげで下ごしらえの手間が省けました」
　そのときスハイルの腕に嵌めた兄弟石の伝輪が光った。
「団長が来たようです」
　スハイルは、裏口が開いていることを伝えると、フォーマに目配せする。
「迎えに行って合流しましょう」