我楽多堂の四季彩インク｜リアクション

我楽多堂の四季彩インク

　我楽多堂にてペンと専用用紙を購入した旅鴉月詠は早速、
風の吹くまま気の向くまま、
きらきらと陽射しを受けて輝く海辺へとやってきた。
「ふむ」
　波打ち際まで足を運んでペン先をそっと沈めてみれば、
白い羽はたちまち水色に染まっていった。
　水色とは何ぞや、と。月詠は自らに問いかける。
水色とはライトブルー。一般的には、水のように淡い緑みの青色であるとされる。
しかし、本当にそうだろうかと、月詠は足元に打ち寄せる波を見て思うのだ。
確かに遠くけぶる水平線を見れば、海は水色といえるかもしれない。
けれど間近で見る水は、掬えば無色透明で、
このペンが映した水の色などどこにもありはしなかった。
「では」
　月詠が再びペンを取り、真っ青な五月の空に掲げて振れば、
白い羽はたちまち空色に染まっていった。
　空色とはなんぞや、と。月詠はまた問いかける。
空色とはスカイブルー。一般的には、空のように薄く明るい青色であるとされる。
しかし、本当にそうだろうかと、月詠は目の前を横切る風を感じて思うのだ。
確かに高く広がる天を見渡せば、空は空色といえるかもしれない。
けれど間近で見る風は、触れてもするりと逃げてゆき、
このペンが捉えた空の色などどこにもありはしなかった。
　結局のところ、色というのは
光の加減と我々の目による感じ方でしかないのかもしれないと、
月詠は考えるともなしに考える。
無色透明に見える水も、空も、実際は混じり物があるから青いのだ。
我々の目はその混じり物を通した光を捉えているにすぎない。
では、自然物から色を抽出するこのペンは、
いったい何を思って水色を、空色を取り出しているのだろうか。
「どうなのだ？」
　尋ねてみても、ペンはただ静かに海風にその羽を揺らすばかり……。
「まあ、当たり前か。ペンは喋らんな」
　ふふ、と一人愉快そうに笑って、もう一度海に向き合う。
……さて、何を描こうかな。

　再度ペンを海の水に浸し、月詠は手元の紙を見下ろした。
試書きをしようにもハガキサイズの紙はたったの二枚しかなく、
下書きをしようにもハガキサイズの紙は専用のペンしか受け付けないときた。
月詠はハガキ一枚を試し書きに使うことに決め、まずは海の水色のペンで一筆。
モチーフを少し考えてからハガキの端に、
ワイルドな眉がトレードマークのサンマさんのイラストを描く。
「なるほど、こうなるか。
はは、なかなか可愛らしく描けたな」
　続いて、空に掲げ直したペンを走らせ、サンマさんの隣にはやはりこれ。
くるりとあがった睫毛がかわいい、マンボウくんをならべておいた。
「なるほど、このような色になるか」
　ようやくペンのクセに手が慣れてきたところで、
月詠はもう一枚のハガキを取り出した。
まだ何も書いていない、真っ白な紙面を見つめていると、
少しずつ、そこに描かれたがっているものが月詠の心に問いかけてくる。　
月詠はペンを握り、心を正した。
　下書きはない、余分な紙もない。
　一枚描き、一発勝負は丁寧に。
心を決めて、月詠はペンを走らせた。
　このペンが表現する
　空の色、海の色、その景色
　もしかしたらこのペンは、
自然のうちに潜む混ざり物たちの声を捉えているのかもしれないな、などと。
そんな突拍子もない考えが、頭を掠めて、消えた。

　真剣に描いているうちに、いつのまにかあっという間に時間が過ぎていた。
夕暮れの海も、空も、先ほどまで描いていた絵とはかけ離れた、
真っ赤な色に染まっている。
「うむ」
出来上がった青空と海の絵と目の前の海を見比べて、
月詠は満足げに頷いた。
自然の色は時と共に移り変わり、同じ色に戻ることはあっても留まることはない。
今日限りの青空はこの絵に閉じ込めた。
また明日になれば、違う青色が誰かに描かれようと寝子島を訪れるのだろう。
今回はこのように表現したが時が経てばまた違う絵になるだろう。
サンマさんとマンボウくんを描いたポストカードは、
『送りたくなったので送りました』などと
身も蓋もない一文を添えて、野々ののこの元へ送る。
二枚目の絵は……誰かに送ろうかと思わなかったわけでもないが、
何とはなしにそのまま持ち帰る。相棒を失ってもはや機能しないも同然のペンも一緒に。
特段特別扱いはせず、他のこまごまとした小物たちと一緒に置いておく。
いつの間にかなくなっているかもしれないが……
それはそれで、まあいいかと月詠は思うのだった。

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