寝子島と教室と、制服と私｜リアクション

寝子島と教室と、制服と私

◆カウンター前の幸福

　2年3組で、ホームルームが終わった。綾辻綾花は支度を終え、大急ぎで図書室へ向かう。そこには、さっきも見た、でも見飽きない顔がある。

「先生！」
「また会ったね。……あれ、今日は綾辻さんが当番かな。頑張ってね」
「はい、頑張ります！」

　教室でも委員会の時間でも早川珪に会えることに幸福を感じながら、綾花はカバンを隅において業務に入った。穏やかな春の温度が綾花を包む。返却された本を棚に戻していると、何か探しているのか、困ったような顔をした女子生徒が綾花に声をかける。

「あの、この本ない？」
「その本でしたら、こちらの棚に……」
「あ、こっちの本棚のやつなんだ。意外」
「間違える人、結構多いんですよ」

　と、案内を終えた綾花の足、その爪先にこつりと何かが当たった。拾い上げると、それはボールペンのようだ。綾花はカウンターへ戻り、専用の箱の中にそれを入れる。ついでに奥の珪に報告した。

「珪先生、落とし物があったので入れておきました」
「ありがとう」

　そうしていると、カウンターの方から呼ぶ声が聞こえる。綾花はすぐそちらへ向かった。

　それからしばらくして、利用者の数も落ち着いてくる。綾花と一緒に仕事をしていた詠寛美も友人に呼ばれて学食へ行ってしまった。最後の一人が本をカウンターへ持ってきて去ると、図書室には綾花と珪の二人きりになる。手持無沙汰なまま外を見ると、校庭で球技大会の練習に勤しむ生徒の姿が見えた。綾花はくるりと珪の方を向く。

「そろそろ球技大会ですね」
「そうだね。たしか全員参加だったっけ。綾花さんも出るのかな」
「はい……運動は苦手なので、足を引っ張らないように頑張れたらいいなと思ってます。活躍は無理ですけど……」
「そうか。応援してるね」

　珪の何気ない言葉に、綾花の心は天に浮かび上がるようだった。ふわふわと高揚している心を地、自分の身体の中に押さえつけつつ、綾花はなんとか平静を保つ。

「懐かしいな」
「珪先生は球技、得意でしたか？」

　しみじみと懐かしんでいる珪に、綾花は言う。珪はうーんと唸った後、爽やかに、

「普通……だったかな」

　続いて、

「僕より上手い人はいっぱいいたからね」

　そして綾花をフォローするかのように微笑を向ける。

「苦手でも、頑張って練習すれば大丈夫だと思うよ」

　綾花はその言葉に勇気づけられて、頷いた。

「やっぱり……練習して慣れるしかないですよね」

　そう言って、綾花は話題を移した。

「珪先生は球技大会、見に来られますか？　もしそうならいつも以上に頑張れそうな気がします」
「どうだろう。まだわからないけど……」

　珪の返事が終わる前に、図書室の戸が開いて、新たな利用者が入ってくる。綾花も、浮ついた心をぴしりと引き締めた。

　今日の仕事がすべて終わり、図書室に鍵がかけられる。

「先に行ってていいよ」

　珪が先で待っている綾花に言うが、綾花はふるふると首を振った。珪は何も言わず、綾花の隣を歩く。その横顔を見ながら、綾花は今日の報告をした。一階へ降りるまでの間、時間がゆっくりと流れることを祈る。好きな先生と話せる、貴重な時間。それを綾花はじっくりと噛みしめた。