寝子島と教室と、制服と私｜リアクション

寝子島と教室と、制服と私

◆見果てぬ夢

「ロザリーちゃん、またねー」
「ええ、また明日！」

　クラスメイトに手を振りながら、夕陽の差し込む放課後の廊下をロザリー・マルリアーヴは悠々と歩く。他校の制服を着た彼女は、赤と黒の制服姿が並ぶ風景の中で一種のアクセントになっていた。昇降口も近くなってきたころ、ロザリーは立ち止まり、ちらりと腕時計の文字盤を見て、約束の時間までまだ余裕があることに気付く。しかし、彼女の表情はどこか釈然としない様子で、少しも嬉しくなさそうだった。というのも、その約束というのはカウンセラーとの面談なのだ。

　――どこも悪くないのに診てもらうなんて、なんだか不思議だわ。

　そう思っても、心から愛する兄たっての希望とあっては、彼女も渋々ながら診てもらうしかない。差し込んでいる陽に目を細めながら、ロザリーは時間つぶしにと図書室へ向かう。扉を開ける前に、トートバッグの中のぬいぐるみ、もとい息子――アンリにロザリーは囁きかけた。

「これから図書室に入るから、静かにするのよ」

　ぬいぐるみからの答えはないが、陶酔する彼女の耳にはしっかりと聞こえたらしい。ロザリーは満足して中へ入る。すると、紙とインクの匂いが彼女の鼻腔を擽った。図書室という静謐な空間はロザリーの気を落ち着かせる。ロザリーは手芸コーナーへ行き、書架に並ぶ一冊一冊手に取っては、ぱらぱらと捲って戻した。
　そうしているとふと、屋上で聞いたやりとりを思い出す。進路のことを話していた彼らの、どこか真剣な、それでいて希望に溢れた会話に、ロザリーも感化された。

　――私もそろそろ決めないといけないわね。でもどうしましょう……。

　卒業したらフランスに帰国して進学するつもりだったのだが、それは家族からは反対され、大学も日本でと言われている。それならと、クラスメイトも多く進学するマタ大への進学を相談したが、それもそれで反対されてしまった。思ってもみなかった家族の反応に、ロザリーは猶更思う。

　――……悩むのだわ！

　そんなことを考えながら、ロザリーは手頃な本を見つけては、借りるためにその腕に収めた。そして、次にその足は絵本コーナーへと向かう。並んでいる物の中から、『パティシエのおにいさん』『くまのおもちゃやさん』といった内容のものを取って、そそくさとテーブルの隅に座った。
　きょろきょろと辺りを見回して、自らの周囲には誰もいないとみるとロザリーはトートバッグの中からぼろぼろの女の子――どこか童話の中の少女アリスにも似た、不気味なデザイン――のぬいぐるみを取り出して膝の上に乗せる。それが彼女の息子ということになってる、アンリだった。そして、そのぬいぐるみに見せるかのように絵本を開く。絵本の中には、水彩の柔らかいタッチで、様々な仕事に従事する人々が描かれていた。

　――アンリも大きくなったら学校に行くのよね。この子は将来何になるのかしら？

　ページをめくる合間にぬいぐるみの頭を撫でて、ロザリーは夢想した。今はまだ小さい息子がぐんぐんと成長して、小学校、中学校、高校と進んでいくのを。日本で暮らすならきっと、寝子島小学校の子供たちのようにランドセルを背負うのだろう。制服は似合うだろうか。
　永遠に来ることのない未来を夢見ながら、ふふりと微笑む母の姿をぬいぐるみの瞳が物言わぬまま見つめていた。時計の針はゆったりと動いている。約束の時はまだ遠く、彼女の妄想は続いた。